ヒガンバナの季節もすっかり終わってしまった。
昨年から、この花の絵を描きたい
と思っていたけど、
昨年の今頃は絵筆を持つようになったばかりだったので、
どうにも描くことができなかった。
花が複雑なので下書きさえできなかった。
しかし、今年は少しは経験を重ね
技術も向上したこともあって
しっかりじっくり観察し、
ようやく何とか下書きができるようになった。
石の上にも2年目に突入である。
このヒガンバナというと
いくつか思い出の地がある。
ひとつはススキを見に、
生石高原に行った時だ。
帰りの道を間違えて
なんとか人里に出たと思ったら、
村はずれの停留所から出る
バスの待ち時間が2時間くらいあったことがある。
これは待っているのも退屈だし、
路線図を見ると
歩いて辿れそうな道だったので
とりあえず次の停留所を目指して歩くことにした。
その時歩いていて見つけたのが、
景色の一角を真っ赤に彩る
ヒガンバナの大群落だった。
斜面には群生し、
あぜ道にそって敷かれたレッドカーペットは
圧巻だったのが今も記憶に
鮮やかに残っている。
また季節は当然いつも同じ頃になるけど、
曽爾高原に行った時に見たヒガンバナも、
その時の思い出とともに
忘れられない花のひとつだ。
そんなことを思い出しながら、
下書きに彩色を施して絵を描いた。
添える言葉も3日間くらい
自分の中で発酵して
湧いてくるのを待ち、
ようやく完成したのがこれ。
もうお分かりでしょう。
”ヒガンバナ”と”悲願の花”をかけている。
昨年も作ったが、今年も作る予定のカレンダーの
図案のひとつとして、数多く作った作品の中から選ぶ
12作品のひとつに採用することにした。
そしてもう一つ描いたのがどんぐりだ。
かねてからいろんな人に言っているが、
doironの前世は
このどんぐりを食べるリスのような小動物か
いもむしのような昆虫だったと思っている。
というのも、なぜかどんぐりを見た時に、
今まで一度も食べたことなんてないくせに、
不思議なことに記憶の中から
どんぐりの味が湧き上がってくるのだ。
昨秋もどんぐりを描いたことは描いたのだが、
腕の未熟さから葉っぱがうまく描けなかったことと、
思いついた言葉も気にいってないので、
今年も描くことにした。
昨年は、落ちて茶色になっているどんぐりを描いたが、
今年は実ったばかりで
枝についているのを
葉っぱと共に描くことにした。
おかげで緑の使い分けに苦労した作品となった。
公園で、遠足でお絵かきに来ていた子供たちに交じって
軽くスケッチをし、
それでもうまく描けなかったので、
ひと枝いただいてきて
じっくりと描いてみることにした。
もちろんモデルとなったひと枝は、
しばらくの間doiron家の玄関の花瓶で実っていたけどね。
で、次は言葉だ。
絵を描いてみて、
しばらく眺めていると
「どんぐりの背比べ」という言葉が浮かんできた。
比べる、という部分に引っかかって
たどり着いた言葉も入れて完成したのが、これ。
これも字のバランスが悪かったのだけど、
まあまあ気に入った作品のひとつになった。
そしてこれが、先日収穫した
アケビの絵
絵を描き始めて1年と数か月になる。
少しずつテクニックも覚えて、
描ける作品の幅が広がってきたのがうれしい。
これまで描きたくても描けなかった画材も
たくさんあるので、
これからも少しずつ腕を磨いて、
描ける題材の幅を
もっと広げていけるよう、
挑戦していけたらな
と思っている今日この頃なのだ。