ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

浪速何でも御堂筋4

2014年06月12日 21時30分57秒 | ウォーキング

御堂筋の道修町3丁目の交差点を横切って、
今度は御堂筋の東に向かいます。

昔から、道修町は
薬の町といわれているように、
このあたりは塩野義製薬、
改源、田辺製薬、大日本製薬など
薬関係の会社が多くあります。



若いころは薬といえば、
たまに医者でもらったり、
薬局で買ったりするもの
というイメージしかありませんでしたが、
自分も周りの人間も
常備薬として何種類もの薬を飲み、
しかもやめられなくなってくるものですから、
製薬会社がいかに大きな市場を持っているか
ということを実感するようになりました。

両親だけでも数えきれないほどの薬を飲んでいます。

だからこその、立派なビル構えなんですねえ。



ここらあたりは、
「いつもお世話になっています」
とお辞儀をしもって通らなければなりません。

と、その時「アイスクリーム」の文字が目に入りました。





歩いた日は北海道でも35℃を超える
猛暑を観測した日でした。
大阪でも30℃を超えていました。

ここらでちょっと休憩しましょう。

入ったのは、「ゼー六」というお店です。



これは創業100年を誇る
ちょっと有名なアイスモナカのお店です。

抹茶とストロベリーを買ったところ、
アイスモナカは持ち帰りのみだったので、
しかたなく店の前で立って食べました。
これ。



最中が薄くてパリパリで、
アイスが適度にやわらかくおいしかったです。
さすがに100年続いている味だけのことはあります。

それを食べながら、
ふと横の建物を見ますと、
2階部分の壁に仕切りのようなものがあります。

これ。



これは卯建(うだつ)といいます。
町屋が建ち並ぶ場所で防火壁の役割をするものです。

財力を誇示するためのものとして設けられたことから、
見栄えがしない、さえないことを
「うだつがあがらない」という風になった
その語源ともいえるものです。

薬屋さんが建ち並ぶこの地域では
きっとこの卯建が並んでいたんでしょう。

特にここは乾燥した漢方薬を扱っていた会社なので、



火の元には神経を遣っていたのでしょう。

この会社の背後には、
立派な倉もありました。



アイスでお腹も落ち着いたので
さあまた頑張って歩きましょう。

ここまで6km位を歩いてきました。

すぐにあったのが、
薬の神様の「少彦名神社」。



「神農さん」の名前で、
薬業界の人たちに親しまれています。



その昔大阪でコレラが流行った時に、
薬を作るとともに邪気を払うといわれる
トラの置物を祀ったところから、
トラをシンボルマークにしています。

だからといって、薬の神さんですから
タイガースファンが大挙して押し寄せる
というわけではありません。

その参道には、いろんな薬が展示されています。





中には懐かしい薬もあって、
しばしの間眺めておりました。

すべての薬に敬意をこめて、
お詣りし、そこを後にします。

堺筋の大きな交差点に出ると、
道の向こうに古くて貫録のある建物が見えてきました。

そこでの暮らしぶりが
谷崎潤一郎の小説「春琴抄」に描かれた



という旧小西家住宅です。



その交差点を左折し
難波筋を北に向かうと、
北浜の方に出ていきます。

薬の町から、金融街へと入ってくわけです。

大阪のウォール街といわれる
街の重厚なビルヂングが続き、



土佐堀川に突き当たったところの右にあるのが、
正面に大阪株式取引所に尽力した
「五代友厚公」の銅像がデーンと建つ
大阪証券取引所のビル。





え~、アベノミクス以来、
株には少なからずお世話になっておりますので、
お礼を申し述べておきました。

そして正面が「ライオン橋」こと「なにわ橋」です。



この橋を渡らずに左折し、
少し行くと土佐堀川に架かる橋である
「栴檀木橋(せんだんのきばし)」にさしかかります。

橋の名前は、
昔この橋のたもとに
大きな栴檀の木が植えられていたことから
つけられた名前です。

栴檀とはあの
「栴檀は双葉より芳しい」
といわれるあれですね。

ちなみに、doiron家の近くの公園にも
植わっています。これ。



そしてもう少し続きます。