金沢という町はdoironにとって、
とても特別な町なのだ。
学生時代の多感な4年間をこの街で暮らしたからだ。
夢を見たり、バカなことをしたり、
恋もして濃密な四年間をすごし、
そこで出会った人達とは、
30年以上経った今も交流が続いている。
故郷で生まれ育ち、
今も故郷で暮らしているdoironにとっては
そこは「第二の故郷」とも言うべきところだ。
その街に行くということは、
当時の自分に逢いに行くのと同時に、
四半世紀以上の時の隔たりを
確認しに行くということになる。
なぜこんなことを書いているのかというと、
その街に、先日故あって行ってきたのである。
金沢は「北陸の小京都」と言われるだけあって、
寺町寺院群、卯辰山山麓寺院群、小立野寺院群など
お寺や神社が多く点在し、
金沢城と兼六園を中心に
町が広がった城下町である。
もし今金沢に住んでいるのなら、
訪ね歩く名所旧跡には
きっと困らないだろうというくらい
訪ねどころ満載の町でもある。
途中、永平寺に立ち寄って取材をしたあと、
金沢に着いてまず行ったのが
やはり兼六園。
名園と言われるための条件は六つあると言われ、
その六つすべてを兼ね備えている
というところからつけられた名前だそうだ。
じゃ六つて何?とお思いだろうが、
これは中国の古人が言ったことなので、
「宏大」や「眺望」などの他は、
意味も読み方も難しく、
漢字変換さえややこしいので
この際省略するとして、
昔はこの名勝と言われる庭園内が
doironの通学路だった。
どうしても出席しないと「不可」になる授業があり、
特にそれが必須科目となると
進級がかかっているわけだから、
そんなときに寝坊をしたりすると、
血相を変えてこの静かな庭園内を、
息も荒く駆け抜けていったものだ。
今は入園が有料になって、
そんな学生の姿を見ることはない。
第一、学校が金沢城内から
田舎の方に移転してしまっている。
この街で喫茶店を営んでいる
知り合いを訪ねた時に
そのマスターも、
「あの頃は街に元気な学生がたくさんいて、
よかったじ~」と言ってたように、
今もそのことを嘆く市民はたくさんいるそうだ。
この庭園内の東側には展望所があり、
そこからは、金沢市内が見渡せる。
眼下に浅野川界隈の町、
正面には白山から続く山並みの先端である
卯辰山や遠くにかすむ医王山が並んで見える。
学校帰りによくその展望所にあるベンチに腰かけて、
友達と遊びの計画や将来のことなどを
話しあったりしたものだ。
なのでそこから見る景色は、
自分の記憶の中では
学生の頃に見た金沢の
代表的な景色であるともいえる。
その頃のdoironの姿はというと、
信じられないだろうが
肩まで髪を伸ばしたり、
わざとボロ着でうろついたりで
今思うとめちゃめちゃ恥ずかしい恰好だった。
趣味で山登りをしていたから、
なおさらむさくるしかったということもある。
今は伸ばすほどの髪もないし、
純粋に貧乏くさい恰好で歩いているだけで、
「ありのままの姿見せるのよ~」ということで、
何一つ恥ずかしいことはないけどね。
大阪から車で5時間と距離も離れているが、
ここに来るたびに強く感じるのは、
そんな物理的な距離ではなく
時間的な隔たりだ。
卒業して35年、街の中でも当時の姿で残っているものは
それこそ神社仏閣の他は数えるほどしかない。
そして何より35年の時の中で
自分自身がすっかり変わっているということを
あらためて認識した旅となったのでした。
続く