枝豆の次はトマトを描いた。
これもまた夏の絵手紙の定番で、
枝豆に引き続き絵手紙風に
墨で輪郭を取ってみた。
この絵で難しかったのは、
白く塗り残した部分を
濡れた筆でぼかし、
光っている様子を表現することだった。
透明水彩では濃い色の中に
白を浮かび上がらせるのは大変なのだ。
以前だったら強引に白を重ね塗りするところだが、
今回は塗り残しておいて、
色の筆と水だけの筆を二本持って描いていくという、
絵の師匠に学んだ手法で描いてみたら
結構自然に描くことができたのはひとつの収穫だ。
それともう一つ気に入ってる部分は、
やや緑がかった部分が残っているところの表現かな。
若いトマトの表情が割によく描けているでしょ。
おけつを向けてる左のトマトは
水彩絵の具で出せる透明感を
意識してみた。
そして絵が描けたら次は添える言葉について考える。
トマトと言えば
「上から読んでも下から読んでもト・マ・ト」
が真っ先に思い浮かぶ。
そんなこの野菜の名前の特徴を生かすことは、
実は絵を描いている時から
すでに考えていたのだ。
上から読んでも下から読んでも
同じ読みになるのを「回文」という。
トマトが語る言葉をその回文で表そうというのを、
今回の言葉を添えるにあたっての課題とした。
これはハードル高いなと最初思ったのだが、
そのことを頭の片隅に置きつつ、
友達とメールのやり取りをしている時に
不意に「この言葉を使いなさい」
と天から言葉が「降りて」きた。
それがこれ。
いつも苦労する言葉創りが
こんな風に自然にジグソーパズルの
ピースがピッタリはまるようなときがたまにある。
こういうことは、
doironの場合よくあることで、
仕事の原稿を書くときも、
ふとどこかから
「このアイデアを使いなさい」
とおりてきたりすることがよくあるのだ。
それは、ずっと頭の片隅に置いておくことで、
熟成し磨かれて徐々に言葉になっていく
ということなのだろう。
この絵の言葉を考えている時に、
実はこんな回文もできた。
高山に登ると、低酸素のせいで
脚や腕やらが痺れてきたりする。
そこで
「ヒマラヤで腕やらマヒ」
なんてね。
また何かの折には使ってみようと思っている。
先に描いた枝豆と
このトマトの野菜の絵はスキャンして、
お礼状に添えておくことにした。
ところが貧乏性のdoironのこと。
書き終わった後のパレットを眺めていたら、
絵具がたくさん残っていたので、
もったいないからもう少し描いておこう
と思い立ち、
残った絵具でかけそうなものはと考えてみて、
思いついたのが「ドクダミ」だった。
ドクダミと嫌な名前を付けられているが、
別名は「十薬」と言われるほど
薬効のある植物なのだ。
家の裏の溝に大量に生えている中から、
しっかり花を咲かせているのを見繕ってきて、
スケッチをし、今度は礼状とは関係ないので
従来の画法に戻って描いてみた。
これ。
自分で言うのもなんだが、
あの独特のにおいが漂ってきそうではあーりませんか。
添えた言葉はこれ。
その香りのように、
なだらかな日常生活に
ひとふりのスパイスを与える
愛情のこもった毒舌は、
心の振幅を広げてくれたりするんだよな
という意味を絵と絡めて書きました。
こうしてできた3枚の絵は
来年のカレンダーにも採用できそうです。
食材として、また画材として
ダブルで活用させていただいた、
知り合いからのありがたい贈り物でした。