「夜間歩行」をキーワードに
ネット検索をしてみると、
もちろんこのブログも出てくるけど、
夏場には中学校や高校で
50キロや100キロの歩行をしている
という記述によく出会う。
各地の学校でそういう催しをしているんやね。
誰だったかなあ。
学生の頃、毎年夏に大阪市内から
飛鳥までの道のりをてくてく歩く
行事があったという話を聞いたことがある。
先生方も大変だ。
でも生徒たちにとってはいい思い出になっているようだ。
恩田陸の「夜のピクニック」という小説も
そんな夜間歩行が舞台になっている小説だったな。
あとそれとネットによく出てくるのが、
中高年者の夜間歩行時の
交通事故防止のために
反射板をつけましょうといった注意喚起のページ。
「まだまだそんな歳じゃないもんね」
と思ってもいられない年齢になってきているから、
これは油断してはいけない。
もし何かあったら
「高齢者の夜間歩行者が交通事故」
なんて見出しに載せられかねんからね。
なので、暗闇を少しでも避けた
というわけではないのだが、
今回は夕暮れの空が
きれいに暮れていきそうだったので、
まだ空に十分明るさの残る時間から歩き始めることにした。
これが、いつものわが村の地蔵さん。
今月には地蔵盆もある。
そこから例によって和気道を進んでいった。
隣村の入り口にあるのが
何度も出てくる「せきの地蔵」
前回の二股分岐は右にとり、
本来の和気道へと進んでいくと、
同じく隣村のもう一方のはずれにあるのがこの地蔵。
三寶地蔵と長命地蔵がおられ、
数年前に祭りでちょっとした事故があった年に
こんな案内板が設置された。
なおも和気道を進むと、
「中和泉街道」に出る。
これは別名「布引の道」ともいわれ、
助松の浜から、
紀州街道を横切り和泉国三の宮である聖神社へと続く道だ。
ここから浜の方を見ると、
西の空は最後の輝きを放ちはじめていた。
今回の目的のひとつに、
義父のお葬式でお世話になったお寺への訪問がある。
doiron家の宗派とは違うお寺なので、
今まで一度も行ったことがなかったお寺であるから
この目で確かめておきたかった。
入り組んだ助松の村中を歩き到着。
立派な梵鐘のあるお寺だ。
そういえば昔、息子が中高校生だった頃、
大晦日の夜によく除夜の鐘を撞かせてくれると
友達と行ってたお寺に違いない。
息子に確認したら当たりだった。
住職の息子もお寺を継いでおり、
見た目は息子よりも若そうである。
ミセスと共に満中陰まで供養をよろしくお願いして、寺を辞した。
このあたりは、doironが子供の頃は
もう海岸線のすぐ脇だったんだろう。
道の真ん中に、昔の松林の名残の松が残されていたりする。
さあ、キョロキョロしながらもぼちぼち家路につこう。
いつの間にか、
あたりはすっかり暗くなっており、
闇の中にお店の灯りが浮かび上がるようになっていた。
これは比較的新しいマック。
色々ありましたが、がんばれマック。
そしてこのお弁当屋さんは
知る人ぞ知るお店だ。
なにせ安い。
340円の弁当が夕方には半額になり、
店に行列ができるという。
でもこちらこそ食材に問題はないのかと、思ってしまう。
おお~、これはまた大胆に
「日本で一番フレンドリー」とは思い切ったコピーです。
車を停めたら、オーナーがやってきて
両手を握りながら
「ありがとう。今度是非飲みに行きましょうね」
とでも話しかけくるのでしょうか。
とまあ、そんな具合にお寺の用事を済ましつつ、
あちこち突っ込みを入れながら、
腹減らしのために歩いてきた夜間歩行も終わり。
帰ったら、まだご飯のもらえていないグーが
玄関でふて寝しておりました。
さあ、一緒にご飯しよ