第11回ドジ旅日記
豊臣秀吉の陰謀
出演 ジダン、doiron
助演 京都の皆さん
宴会地 王将
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ある日の呼びかけから
ドジ旅が始まることになりましたので、
もう少し下調べをしておきましょう。
豊国神社の横にあるのが方広寺です。
これも秀吉に大きく関与するお寺ですし、
豊国神社から豊国廟(墓石のある所)の
間にある新日吉神社なんかも
秀吉に関連しています。
まあ後はそんな経路近くにある前から
少し気になっていた「剣神社」などを経て、
京都駅へと向かうコースを
とればいいかと、ほぼ計画を決めたのでした。
そうしてできた資料がこれ。
すこし前の石垣島旅やあの大阪の
巨木シリーズ旅ほどではないにしろ、
秀吉の陰謀をテーマにわかりやすく
コースができたようです。
早速この資料に基づき
旅を始めていくことにしましょう。
今回の歩くコースを考えたら、
京阪本線の七条駅から歩くのが
よさそうですのでそういう経路を
たどって上洛してゆくことにしましょう。
まずはいつも通りに松ノ浜駅に集合です。
南海電車に揺られて天下茶屋に行き、
そこから地下鉄に乗車。
北浜で京阪線に乗り換えて
京都へと向かって行きます。
枚方ではあの「ひらパー」の横を通り抜け、
伏見桃山の方を通って
七条の方へと進んでいきます。
秀吉も晩年はここの伏見桃山城に
居たようで、遺体は廟の方へと
運ばれていきました。
ああ、その行列がドジ旅に
つながるというようなことを
想像できたでしょうか。
この伏見城で薨去となる前に、
五大老や部下を呼び寄せ
自分の息子である秀頼のことを
たくしたといわれています。
没後彼は神としての位が与えられ
葬儀はせずに、土葬も
されなかったようです。
伏見城に置かれたままになっていました。
そして一年後に今の廟地に
運ばれ埋葬されたそうです。
ああ、そんな光景は想像に堪えませんね。
実は、彼の体の一部分が
今も残っているそうです。
それはこの後のドジ旅の中で
明らかとなります。
秀吉とのご対面ですね。
彼は死後一年後に廟に埋められましたが、
神となっていたので
それを祀っているのが豊国神社です。
そこを一番最初に訪れる予定です。
京阪七条の駅に着き、
トイレをすましたら出口に
向かって行きます。
ああ、ここに案内がありますね。
ここへ向かって行きましょう。
でもちょっと待ってくださいよ、
案内のローマ字を見ると
「HOKOKU」と書かれてありますよ。
でもネットで調べたのは
「とよくに神社」です。
こ、これは一体どういうことなのだ。
まるで秀吉の陰謀なのか。
ちょっと調べてみますと、
この豊国神社は日本に数社あり、
この京都の神社が総本山です。
大阪にも豊国神社が大坂城の中にありますが、
ここは「ほうこく神社」といわれていますが、
やはり京都の総本山は
「とよくに神社」といわれています。
まあ、言ってみればどちらでも
いいようですね。
まあ結局は「とよくに」と
ここでは考えておきましょう。
駅から出るとすぐに七条大橋です。
この橋はなんと鴨川にかかる
最古の橋だそうです。
見た目もふるそうですね。
これをわたっていきます。
え~6個300円なら当然8個400円
じゃないだろうかなどと
超数学的な反論をしながら、
前を見ますと、おお~あの山が
秀吉が埋葬されている豊国廟です。
あ、ここでは「ほうこくびょう」と
いわれることが多いですね。
まあ、どっちでもいいんですね。
漢字で書いておきますから
好きなように読んでください。
秀吉の陰謀に惑わされてはなりません。
そのさきで右に見えてきた
大きなお寺が三十三間堂です。
西暦1657年に完成しましたが、
桃山時代に秀吉の方広寺の中に
含まれていたお寺でした。
ここを左に曲がって進んでいきます。
続く