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いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

大阪市内の猪養殖場 3

2016年05月29日 21時01分09秒 | ウォーキング

西俊徳地蔵を出て、
しばらく北上していきますと、
道がくにっと曲がるところで
「彌栄神社御旅所」に出てきます。



こんな感じで、
結構整備されています。

この御旅所の前の道が
くにっと回っているのには
少し意味があります。



これが昔の大阪の地図です。

大阪平野はかつて多くが
水につかっていたのですね、
特に河内湖という大きな湖が
広い面積を占めていました。

その河内湖にそそぐ川のうち、
南側の平野川(旧称「百済川」)が
今の鶴橋駅少し北の
小橋というところで湖に
注いでいる時期がありました。

そう、だからこの辺りは
川の下流の平らな場所で
あったわけですね。

そんな場所でイノシシを
飼ってる人が多かったから
猪甘の津(港)と言われていて、
のちに淀川とかのおかげで
陸地化したときに
「津」は「野」になり地名も
「猪飼野」になっていったそうです。

しかしまあそんな「猪飼野」も
行政区画エリア名の変更で
地名から消えてしまいましたが、
交差点名や橋の名前などで



若干残っている状態になっています。

その御旅所からしばらく歩いていくと、
そこにあったのが

「つるのはし跡」碑です。



そうこの辺りは海に面した
へいちというか湿地のようなところも多く、
昔は鶴がたくさん飛んできていたようなので、
平野川にかかる橋を
「鶴橋」と呼んでいたそうです。



なのでこのあたりの地名が
今も「鶴橋」なんですねえ。



当時は鶴がよく来ていましたが
今は猫にもエサをあげてはいけないようです。

そうそう以前、つるはしを歩いているときに
「亀の橋」のあと碑を見つけましたから、



いやあ「鶴と亀」でおめでたいこってすな。

で、この「つるのはし」には
さらに古いいわれがあって、
「日本書紀」には日本最古の橋として
「猪甘津の橋」と期されていたそうです。

なかなか貴重な旧跡なんですねえ。

さてぼちぼちこのあたりで
お昼にしないといけません。

さっきつるのはしの手前に
コンビニがあったので戻ってみましょう。
で、そこで買ったのが、これ。




お湯もコンビニでいただいて、
つるのはし公園の片隅でランチタイムです。

いやあ、日本最古の橋でぜいたくですなあ。

しかも、この鶴の橋の前は
パン屋さんです。



そのおいしそうなにおいも
おかずになるってなもんです。

もぐもぐ・・・。
はあ、満足ですな。

さあ、食事を終えたら、
続きを歩きましょう。

さらに進んでいきますと、
こんな道標がありました。
「右 大阪」と刻まれています。



昔は「大坂」という字が
よくつかわれていたのですが、
ここは「大阪」ですね。

案内によると、この道標は
1866年に明治になる直前に
建てられたもので、
その時期に「大阪」とは
珍しいものだそうです。

そしてその先にあったのが



「御幸森天神宮」です。



この辺りは湿地で水鳥が多く、
仁徳天皇がよく狩りに来たそうです。
そして狩りに来た時に、
当時百済の人が多く住んでいて
反映していたこのあたりで
よく休まれたので、

「御幸森」という名前がついたそうです。

この日は工事もしてたので、
ジックリ中をうろうろすることが
できませんでしたが、



途中、「さし石」という遺跡を見つけました。



重さ70キロを超えるこの石を



持ち上げて、地元の者たちが
力比べをしたそうです。

本殿は静かな感じの社殿でしたね。



そしてこの神社を出たあたりから、
「コリアロード」という名前の付いた、
商店街が始まります。



売られているのは「キムチ」や
外国衣料、韓流メディアグッズなどが
次々と並んでいます。





見ていると、若い女性が
結構来られているようでした。

途中、チヂミを一枚買って



公園で食べたら、



これが大きくて
おなかがいっぱいになってしまいました。

キムチもお土産に
買いたかったのですが、
ちょっと電車でにおいが
気になりますからやめました。

結局トータル約8キロを歩いて、



鶴橋駅に到着。



古代の「猪甘津」や
「コリアタウン」を味わった
生野区の旅、これにて終了です。


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