渡しを使ってやってくる人がいたので、
京街道に近いこの佐太天神宮の
入り口には道標があります。
その正面には「佐太天満宮」と刻まれ、
裏には
「もり口 一里 京ばし三里」
「野ざき七十丁 ほしだ二里 ・・・七十丁」
と刻まれている。
その佐太天神宮に入って行ってみよう。
道標や鳥居には「天満宮」とかかれ、
その他には「天神宮」と書かれているので、
ここでは「天神宮」と書きます。
参道をずっと歩いていくと、
こんな石が立っていました。
境内には蕪村の句碑があるそうです。
これは確認しないといけませんね。
これがあの淀屋橋をつくった
「淀屋」の寄進の石井筒です。
そしてこれが筆塚なんですが、
この字を書いたのが
最近東京オリンピックの時にも
頻繁に登場する「森喜朗」氏です。
文部大臣の時だから
30数年前の石碑ですね。
まあ、きれいな字ですから
いいんじゃないですか。
doironが書いたら
漫画みたいになってしまいますからね。
そしてこれが「蕪村の句碑」です。
「窓の灯の佐太はまだ寝ぬ時雨かな」。
この筆塚や蕪村の句碑の
後ろにある森が
「おおさか緑の百選」なんですねえ。
はい、大体これで
佐太天神宮の見どころは抑えました。
ここから隣にある「来迎寺」も
寄っておきましょう。
このお寺には見事な松があります。
あっちこっちから枝が伸びて、
どっから生えて、
枝がどうなっているのか、
これはもう難解な姿になっています。
木の枝をこんな風に育てるって
根気いりますよねえ。
そしてこの寺の中庭には
大阪府指定の有形文化財の
石塔があるとなっていますが、
ちょっとわかりません。
帰ってからネットで調べたら
こんな風な石塔でした。
こ、これは先日深井清水の
村中で見つけた石塔に
そっくりですねえ。
もし関連があったりしたら
驚きなんですが~。
さあ、ではこれでまた
淀川のほうに戻っていきましょう。
堤防に上がっていきますと、
春にしては強い日差しの中で
遊ぶ人たちは、
こんな木陰をうまく使って
遊んでいますねえ。
なかなか広くて心地よさそうです。
町の方はというと、
ちょっと向こうに
ツインのビルが見えていますねえ。
最近はこういうツインビルが多いですねえ。
大阪城公園、泉大津、堺市、八尾
など各地で見かけます。
で、たぶん、位置的には
守口の方なんでしょうねえ。
しかしこんなに暑いと
しっかりと水分を
取らないといけませんねえ。
今日の飲み物はねえ、
これにしたんです。
「香りが違うなあ」と
吉川晃司が言ってたりする
このお茶ですから、
きっとうまいに違いありません・・・
ってやっぱりあんまり
変わりませんなあ。
doironの舌も頼りないからかも
しれませんがね。
歩くときに効率よく
水分をとるのって
何がいいんでしょうねえ。
昔は断然コーラでしたね。
おしっこが黒くなるんじゃないか
というほど浴びるほど飲んだなあ。
けど、最近はねえ
そんなに飲めないし、
ちょっとカロリーや
吸収効率を考えてしまいますねえ。
こんなに体重増えちゃねえ。
水分はdoironの病気を考えたら超必要ですから、
まあいろいろと考えつつ
飲むことにしましょう。
この夏までにもっと痩せないとねえ、
頑張るぞ~。
などと河川敷で変な誓いを立てつつ、
さあ次の橋に向かっていきましょう。
たぶん淀川を渡る橋としては
いままで一番数多く渡った
橋ではないでしょうか。
大阪中央環状線の通る「鳥飼大橋」です。
この橋のところには
大阪モノレールも走っています。
まだ乗ったことのない交通機関です。
このモノレールを使った
歩きも計画していますが、
なかなか交通量とかも多くてね。
でも走るんだったら
モノレールランなんかも
いいかもしれんねえ~
とか考えながら続きます。
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