「鴨」、「加茂」、「賀茂」。
みんな葛城の「鴨族」が
いついた地域についている名前です。
京都の鴨川、下賀茂神社の「かも」もそうです。
もとはといえば
「神」からきているそうです。
神の言葉を発していた巫子の一族をそう呼んでいました。
奈良市の少し北にも、
「加茂」という地名があります。
「木津川市加茂」
「鴨族」の祖神である賀茂建角身命が
ここを通ったことに由来するところです。
そこにも「かも」の名を持つ
旧跡があるというので、訪ねてきました。
車で生駒山脈のトンネルを抜けて
1時間でJR加茂の駅に到着。
ここには以前柳生街道のドジ旅で
途中下車してビールを買ったローソンがあるはずです。
今日のお昼とホット―コーヒーを買い、
ポットに詰め直してさあ出発です。
今回はこんなコースを歩きました。
ローソンのある西口の反対側、
東口には公園があります。
ここにあったのが
「幻の大仏鉄道」の遺構のひとつ、
動輪モニュメントです。
大仏鉄道というのは、
ここ加茂と奈良東大寺を結ぶ
10キロ足らずの路線で、
明治31年から同40年までの
9年間だけ運行されていた路線です。
1世紀前の鉄道であるため、
当時の資料もあまり残っていないことから
「幻の・・・」といわれています。
この動輪のモニュメントは
当時の加茂町長が
私費で建立したそうです。
その鉄道の廃線跡が
ここ加茂から奈良にいたる
約13キロの道になっており、
遺構も点々と残っているそうです。
今回は「鴨の痕跡を訪ねて」
の歩行ですから、
別の機会に必ずまた訪ねてこようと思いました。
ここ加茂の駅は、
当尾の石仏群散策や
doironの大好きな浄瑠璃寺へ行く
起点となっていますから、
きっとまだ何回か来ることになるでしょう。
さて公園を出て、
最初の目的地「御霊神社」に向かいましょう。
駅前はモダンな感じに整備されています。
加茂は天王寺から一時間以内で来られる場所ですから、
閑静な住宅街や広い道もできて、
近年こちらの開発が
どんどん進んでいるように見受けられます。
マンふたは、松とアジサイ、
シイタケとツバキがあしらわれています。
これが御霊神社の参道入り口の鳥居です。
「よく来たにゃあ」とさっそくニャンコがお出迎えです。
御霊信仰とは、世を震撼せしめる
厄災や疫病が流行ったときに、
その原因となる怨霊を鎮めるところに
生まれたものとされています。
ここの御霊神社もまさしく、
その信仰に依るものでした。
祟道天皇という名前があります。
一度も皇位を継承したことがないのに
「天皇」の称号を持っています。
それは、様々な悲劇の中で
絶食により薨去された
早良親王の怨念により、
数々の厄災・疫病が流行ったため、
その霊を鎮めるために、
没後に「天皇」の称号を追称されたそうです。
この神社も主祭神としてを祟道天皇を祀っています。
ところで、「御霊」という名前に記憶はありませんか?
そうです葛城古道の「鴨山口神社」の由来の中で、
「御霊」がその地域の名前である
「櫛羅」の起源となるなっていると書きましたよねえ。
御霊大神を祭神の1柱とする
鴨山口神社にある木像の
「御霊大神座像」が彫られた年代と
祟道天皇の時代は同じ時代です。
両社にどんな関係があるのかまではわかりませんが、
祟道天皇の遺構は
奈良市内に多くあるにもかかわらず、
そこから離れたここにもあるということと
鴨族がここに在住していたことに
関連があるのか。
その辺はどうなんでしょうかね。
いずれにしても、
当時、祟道天皇の存在ゆえに、
大和を中心に御霊信仰が
盛んだったことが伺えます。
そんなことを妄想しながら
お参りをしました。
そしてこの地には、
燈明寺という寺が隣接しています。
そこも訪ねてみました。
続く。
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