最近の医療にまつわるITの進歩は
実に目ざましい。
今日は、近所の病院に転院してから
2度目の診察だったのだが
診察券一枚で
受付、データ管理、支払い、予約
ドクターの指示なんかが
すべてまかなえるシステムになっている。
検査の部署、診察室、会計がすべての
データを共有しているということだ。
それと検査そのものも電子化が進んでいる。
レントゲン画像も電子データだし
検査結果はすべてシステム上で
見ることが出来る。
宝塚の病院でもそうだった。
施術してくれたカテーテル検査の
その一部始終が動画としてDVDに納められ、
紹介状と共にいただくことが出来た。
是非ブログに掲載してください。
というわけでは決してない。
転院先の先生に見てもらうためだ。
先日初めて転院先にそれを持って行ったとき
診察時にはドクターがそれをまだ見てなくて
とりあえず、再検査のための
入院の日にちを2月上旬に押えてくれただけであった。
その入院に先立ち
事前検査と診察が本日にあった。
つまり、転院先のドクターが
カテーテル検査の状況を
動画で確認したうえでの初めての診察が
今日だったというわけだ。
当然仕事は無理を言って
休ませてもらった。
午前中に血液検査を終え、
その結果が出てから
そのドクターの診察室に呼び込まれた。
まず血液検査の結果から説明があった。
すべての項目が正常であるが
飲み続けている薬の副作用と
思われる数値の上昇が1項目だけあった。
しかし、それもたいしたことはないというレベルで
まずは合格だという。
そして次に、ドクターが
カテーテル検査の
動画を確認したうえでこうおっしゃった。
「私の見る限りでは
すぐに入院して検査をしないといけないレベルでは
全然無いように思うので
もうひとつだけ簡単な検査をして
その結果を見てから
入院は判断しましょう。」
とのこと。
う~ん、ならなぜあんなことになったのだろうか
という疑問は残るが
ま、ここはドクターの前向き意見に
耳を傾けておこう。
思いのほか症状が軽く
予後の状態もよいというドクターの見立てに
doironの気持ちも
かなり軽くなったのであった。
病院での会計を済ませて
次に向かったのが
あの宝塚ハーフマラソンの
大会事務局。
あのときのお礼をまだ言ってなかったのだ。
電車で行こうと思ってたのだが
思いのほか検査と診察に時間が
かかったため、
そのまま車で宝塚に向かった。
空港を過ぎ、しばらく行くと
あの時病院から見えていた
山々の景色が近づいてくる。
事務局のある建物は、doironが倒れた
あの河川敷のすぐそばにある。
事務所に入って名乗ると
担当者は非常に驚くと同時に
元気なdoironの姿を見て
とても喜んでくれた。
大会側にしてもあの時は
とても運がよかったといってくれた。
なぜなら
いつもは、ゴールから少し離れたところに
設けてある救護所を
今回からゴールそばに持っていってたこと、
救急隊がたまたますぐそばにいたこと
ドクターも2人詰めていたため
幸いしたんだということだ。
ここでもdoironは運に救われたんだなと
改めて再認識した次第だ。
30万以上もするAEDそのものを
寄付できるほど豊かではないので
せめてAED整備の足しにと
いくばくかのお金を持って
寄付しようとしたが
それは固く断られた。
ならば、来年は必ず大会の
ボランティアをさせていただくと
約束をしてきたdoironだ。
こうして、遅くなったが、きちんと
お礼の気持ちをようやく届けることができ、
朝の診察結果とあわせて
心がずいぶん軽くなりました。
事務局を出て
見覚えのある山々に向かって
手を広げて深呼吸をした。
晴れ渡った宝塚の空の下、
胸に入ってきた空気は
とても清々しく、肺の形に
充足感が満ちたようだった。
家でウサギを飼っている人は
年賀状にここぞとばかりに
写真を印刷してあった。
もうまるで、今年の年賀状のために
飼っていたみたいなもんだと
そのうちの一人が言ってた。
そんなウサギ年であるが、
もっと細かく言うと
「辛卯(かのとう)」の年なのである。
その字のごとく
辛抱して跳ぶ、みたいな年になればいいなあ、
doironは思っている。
年末に読んだ新聞にも書いてあった。
「辛」はあとちょっとで「幸」になるんだと
今日はそんな辛卯の年の大寒である。
交通のみならず一部地域では
ライフラインまで遮断した、
新年からこちらの大雪も、
ようやくなりを潜めて
雪国の暮らしも落ち着きつつある。
しかし依然として冬型の気圧配置は
日本列島上空にでんと居座り、
予断は許さない状況であるらしい。
夏には灼熱のトライアスロンが開催される
山陰の皆生周辺の山々も
まだまだ深い雪に覆われている。
そんな大山のふもとに住む友人からも
年賀状が届き、
今年はことのほか雪深く、
隣村に行くにも例年になく大雪を踏みしめて
いかねばならず難儀をしているので、
雪解けの春がとても待ち遠しい。
とのことである。
そんな便りを読んだたときにふと頭に浮かんだのが
「因幡の白兎」
山陰地方に伝わるこの話、
島に住む白兎が海に住む“ワニ”をたぶらかして並べ、
その上を歩いて本土に渡ったのだが、
そのときに騙されたと知った“ワニ”が怒って、
白兎の皮をはいだという話だ。
今、自然の営みはワニではなく
白ウサギを地面に敷き詰めている。
海に浮かべた小船にも
白うさぎは降り積もり、
船を転覆させたりしている。
たまに降る大雪を白うさぎに見立てるのには
無理があるかもしれないが、
皮をはがれて地面に横たわるウサギを
がまの穂が癒すという設定は、
雪に埋もれて暮らしながら
次々と緑が芽吹く春を待つ
人々の思いに似てはいないかと
その山陰に住む友人には返事をしておこう。
我が村では一度葬式があると
連鎖反応のように人が亡くなる。
今日も自治会長から連絡があり
スーちゃんと同じ歳の女性が
亡くなったとのことである。
明日、またお通夜に
はせ参じることになるだろう。
きのうお通夜の後の
会食で、すっかり顔なじみになってる
葬儀場の担当者と、
連鎖反応がまた起こらんように
祈っててや。でないと喪服をクリーニングに
出す暇も無いわと
笑ってたところだ。
明日のお通夜では
きっと顔を見合すだろう。
今夜、その人の家に
お悔やみに行ってきた。
83歳という高齢者だが
やはり亡くなるといっそう
生前の思い出が押し寄せてきて辛いと
家の人は言ってた。
そこでも、doironの親父が
町内男性の最高齢で
誰々が女性の最高齢だと
いうことが話題になってた。
でも考えたら、同じ村に住む人同士が
誰が一番の高齢者で
誰が一人暮らしでといった情報を
村の人全員で間違いなく共有しているって
すごいことだよな。
同じ町内の人のことを
これだけみんな知っていたら
災害時の安否確認や
自助、共助の体制は完璧だ。
町内という最小の自治単位で
我が村は、最高の理想形だなと
お悔やみの帰り道に
つらつら考えていたdoironなのであった。
自治会役員として受付業務に従事してきた。
自治会加入世帯は200件足らずの
小さな村なのだが、
やはり高齢者も多く、ここ数年は平均で
年間4~5件の告別式が執り行われている。
年末には危うく主役になるところだったdoironだ。
今夜のように、
一度自治会役員で受付などをすると、
一連の葬事が終わったときに、
その家から自治会に
「亡き故人の供養に」と、
なにがしかの寄付がなされる。
さらに、町内で運営協力提携をしている
民営の葬儀場を自治会員が利用すると、
バックマージンが自治会に流れてくる仕組みもあり、
お葬式は結構な資金源となっている。
自治会を取り巻く財政状況は、
厳しいものがあり、
正直言って葬事がなければ、
単年度収支は確実に赤になるというのが現状だ。
昨日亡くなられた人は91歳で、
最近はずっと高齢介護施設に入っておられた人だ。
実はこの人、
町内の男性最高齢者だったのだが、
この人が亡くなられたことによって、
ついに、ついにdoironの親父が
晴れて町内最高齢者となったのだ。
まあ、アマゾン奥地や
アフリカの部族で言えば、
最長老として崇め奉られる身分となったわけだ。
ん?こんな表現は人権上よくないかも・・・
いささか不謹慎ではあるが、
ま、いわゆるついに金メダルを獲得というわけだ。
お通夜の受付をしていても、
幼なじみたちが、
「doiron家が最長老やなあ。おめでとー。」
などと言ってきよるんだよね。
葬儀場で祝福されるという奇妙な経験をしたぜよ。
とりあえずdoironに似てお調子者の親父には、
明日葬式に行って
ガッツポーズだけはやめるよう
言い聞かせておかねばなるまいて。
doironが使用しているパソコンは、
SONYの
「バイオW」PCV-W111だ。
OSはXP。
買ったときは、そのスペックで
10年は軽くいけるだろうと思っていたのだが、
ソフトが巨大化し、
最近はかなり動作に無理が見られるようになってきた。
ハードディスクの空き容量も少なくなってきていることもあるが、
なにせ動作速度に直結するメモリーの不足が
かなり深刻になってきていた。
もともとのメモリー容量は
256MBしかない。
最近のメモリーが安い機種でも
2GBはあろうかという時代だから、
かなり無理のある使い方である。
このパソコン、
使用者を切り分けしながら
ミセスdoironも使用しており、
彼女は最近の動作の鈍さにかなり業を煮やしている。
キーボードに向かいながら
ぶつぶつツイッておる今日この頃だ。
なにせ機械が古いから、
パワーアップよりも
むしろ新機種導入ということも
視野に入れていたので、
今の機械に手を加えることを
ためらっていたところ、
ついに彼女のやせ細った堪忍袋も
ぷちんと音を立てるのではないか
という恐怖感が芽生えてきた。
「どりゃー」と粗大ごみに投げ込まれる前に、
何とかしなくてはいけない。
動作速度を上げるためには、
貧弱なメモリー容量アップが必須である。
まずは、こんな古い機械にでも
装着できる増設メモリーが
あるかどうかの確認である。
携帯電話のメモ帳に、
パソコンの機種名、
製造年月日、スペックを登録して、
先日ブルーレイを交換してくれた電気屋さんに行き、
その時の担当者を呼び出して相談をした。
「メモリー増設にお金をかけるくらいなら、
今はパソコンも安いから買い換えてはどうですか」
という店員に対し、
「それは将来的に、2台で運用することを考えているのでわかったが、
今は当面あるパソコンをパワーアップしたいのだ。
そうしないと今のパソコンが粗大ごみになるのじゃ。
不憫なのだ。」と説明をし、
一緒に考えてもらうことにした。
増設メモリーなどの周辺グッズが充実している
「バッファロー」で探してみると、
どうやら今の機種に合うメモリーは
「DD333」というシリーズだという。
でも今販売しているメモリーにその型番はもうない。
後継として売られているのが
「DD400」というシリーズだ。
それは最新のOSであるwindows7にも
対応しているとのことであるが、
そんなことより古い機械でも使えるのかどうか
ということが問題なのだ。
「多分いけるでしょう」と店員は言う。
「た、たぶんとはどういうことや。
あかんかったらどないしてくれんねん」
と迫ったら、
「いけるはずです」と言葉を変えてきよった。
「よっしゃ、その言葉を信じてやってみるわ」といって、
512MBのメモリーを買って帰った。
いきなり、パソコンを分解するのもどうかと思うので、
一応事前にホームページを探ってみたら、
まさにW111のメモリーを増設した人のブログに行き着いた。
今の世の中、ほんまに便利やね。
同じことを考えてる人が結構いるもんだ。
ただし、その人が使用しているメモリーは
DD333の方である。
みてみると、以外に簡単そうなので
早速買ってきたDD400-512を装着することにした。
細かい部品でもあるので、
扱いは繊細かつ慎重にしなければならない。
まず電源関係はすべてシャットアウトし、
ねじを緩めてパソコンの裏ブタをはずす。
すると現れるメモリースロットの
金属ふたを慎重に開けると
そこに空きスロットがあった。
その空き部分を、
まずはHFC152aのスプレーで掃除をしてから、
すでに入っているメモリーの装着状況を参考にしながら、
こわごわメモリーのボードを差し込む。
切りかけ部分があるので
方向を間違えることはまずない。
だが機械相手に、
最悪パソコンがパアになるかもしれない
という恐怖感でここまででもかなり神経をつかった。
まして人間相手に
最悪、命も落とすかもしれない
という手術をする医師の緊張は
いかばかりであろうと、
先日のカテーテル手術を思い出しながら
作業を進めたのであった。
メモリーボードはうまくハマッた。
留め具もきっちり留めた。
最後まで緊張の手を緩めず、
パソコンのふたをして、
ようやく作業完了である。
後は動作確認だ。
配線を復元し、期待を込めてスイッチオン!
ジジジジジーとハードディスクの音が鳴る。
まずは、初期画面が出るまでの時間が
飛躍的に速くなっていることを実感した。
次にコントロールパネルを立ち上げ、
メモリーの状況も確認すると、
実装メモリーが736MBと表示されている。
256+512=768MBのはずなのだが、
まあ、固いことや小さいことは言いっこなしだ。
とにかくメモリーは拒絶反応もなく
doironパソコンに受け入れられたようだ。
いつも死ぬほど時間のかかる
写真の加工なんかもやってみたら、
サクサク画面が切り替わってくれる。
間違いなくパワーアップは成功である。
買ったときは、強烈だったパソコンも、
年月がたつと、物足りなく非力に見えてくるもんやね。
同じように歳月を経たら、
doironの頭もメモリーがオーバーフローし始めていくし、
身体も動作速度がこれから鈍っていくんやろなあ。
そう考えたら悲しいもんじゃのう。
プッチンとメモリーを差し込むみたいに、
人間も簡単にパワーアップしてくれないもんかねえ。
ま、とにかくパソコンの動作環境は
かなりよくなった。
せっせとブログルことにしよう。
今日は今年一番の冷え込みの中、
朝から地元自治会の掃除が行われた。
町内をぐるりと一巡りして
ゴミを収集し、公民館前で
分別するというのが
主な作業だ。
ボランティア用に支給される
ゴミ袋とハサミを持って神社に行くと
さすがに今日は寒く、
手水鉢の龍の蛇口(龍口というのかな)
に大きなツララがついていた。
これ
こんなに立派なツララを
町内で見たのは久しぶりだ。
その写真を撮ったついでに
思い立って、その手水鉢の横にある
くすのきも撮影した。
年末に滋賀県と福井県の県境で
県内最大、いや西日本最大のトチノキが
見つかったというニュースを目にしてから
そのくすのきが気になっていたのだ。
見つかったトチノキは
樹齢約400年で高さは22mだとのことだ。
トチの実はあの「トチ餅」なんかにも
加工されて食されるので
昔から、切ってはならないと言われていることが多かったそうだ。
江戸時代のある藩なんかは
飢饉のときの非常食にもなるので
たとえ私有地のトチノキであっても
切り倒すことは許されなかった。
そんな事情があったため
巨木が残されているらしいのだ。
神社のくすのきは
もちろん信仰の対象になったりするから
巨木となるのは当然だろう。
我が氏神のくすのきにも
しめ縄が巻かれている。
これ
樹齢は約500年、樹高は25mと推定されている。
子どもの頃は、この木に
わら人形が釘で打ち込まれていることもあったなあ。
いわゆる”御神木”なのである。
少し離れたところにある
別の神社のくすのきが
樹齢約700年で
市内で最古級なのであるが
樹高では我が神社のくすのきの方が高く、
市内で最ものっぽの樹木となるのだ。
そんな巨木のことを書くときに
ご近所のこの樹も紹介しておかねば
ならないだろう。
和泉市の松尾寺にある
くすのきの巨木だ。
この樹も樹齢は約700年
樹高も我が神社のくすのきより
5mも高い。
そのことを思い出したので
写真を撮りに行ってきた。
ブログのネタ作りに余念のないdoironなのである。
さすがに幹周りも比べ物にならないほど
立派で、200歳の年の差を
実感させてくれる貫禄の巨木であったぞよ。
和泉最大の巨木である
松尾寺のくすのきを取材した後
そこまで行ったのだからと
帰りに久米田池に寄ってみた。
3日ほど前に、その池にコウノトリが
飛来してきているとのニュースが
流れていたのだ。
コウノトリといえば
絶滅が危惧されている鳥のひとつだ。
推定で、全世界に2000羽くらいしかいないだろう
とのことである。
その久米田池は周囲に遊歩道が整備されており
ランニング愛好家達も
たくさん走っていた。
doironもかつて10回くらいは
その池に走りに行ったことがある。
案の定、着くなり走っている知り合いに遭遇したわい。
で、池はというと
ほとんど水がなかった。
この時期は水を抜く季節なんですかね。
なのでコウノトリがいそうな気配もなく
眺めていたら
思いっきり雪が降ってきた。
写真でわかるだろうか
こんな感じだ。
鳥を見かけないので
しかたなくそんな撮影をしていたら
人懐っこそうな人が
「カメラを拝見すると
コウノトリを撮りにきたんでしょう。
今日はいませんねえ」
と話しかけてきた。
40代後半くらいの彼によると
2~3日前には
一日中いたらしい。ほんで
どうやらそのいなくなったコウノトリが、
なんでも最近貝塚の池で見かけられたとの
情報があるらしい。
本当に好きな人っているんですねえ。
たしかに巨木はなにかパワーの
おすそ分けをしてもらえそうだし
野鳥はなんとなくロマンを感じるもんね。
その人、今から貝塚に探しに行くんだと
息巻いておられたわ。
このあと、別の鳥見人にも話しかけられたぜよ。
前からうすうす思っていたんやけど
doironて話しかけられやすいタイプのようですな。
小雪の舞う中
ネイチャーな話題を追いかけ、
楽しむ一方で、
元気な時ならそんなくすのきや
コウノトリをたずねて
家から走ってきてただろうなあと
考えると、一抹の寂しさも滲む
休日のdoironなのでありました。
最近しばらく書いていなかったが
向かいの犬は相変わらずうるさい。
本来ならちゃんとシツケをすれば
そんなに近所迷惑になるほど
ワンワン鳴き続けたりしないだろうに
近所からの苦情もあり困り果てて
飼い主も色んな策を講じてはいる。
まず最初は、頻繁に散歩に連れまわし
くたくたに疲れさせて
夜にはぐっすり寝てもらおうと
いう策だったが、
これは予想通り
犬より先に
家の人がくたくたになってしまって
続かなかった。
次に、犬を夜には
家の中に入れた。
それは近所には有効だったようだが
家の人にとって、うるさい、くさいなどの理由で
これも続かなかった。
そして次に講じた策が奇想天外で
夜ご飯のときに
食事に眠り薬を盛るという
あらわざであった。
これはかなり有効だったようで
家の人も、ご近所の苦情者に
どうだ!むふふん
みたいな勝ち誇った気持ちで
鼻息を荒げていたようだ。
しかし、こんな荒業も長く続くはずがない。
犬の鼻が乾く日も多くなり、
異常な行動も散見されるようになってきた。
心を病むように身体を壊した犬が、
不憫になったのと
ついにドクターストップがかかったようだ。
当然、薬が抜けてくると
犬も日に日に元気になってくる。
やがてなんとか元気を取り戻した犬は
またぞろ威勢良くなり、ひどいときは
夜中じゅう、ワン!・・・ワン!・・・ワン!
と間断なく鳴き始めた。
その鳴き方はとても神経に障るもので、
ミセスdoironも耳栓をしながら
寝ることが日常茶飯事になった頃
業を煮やしたご近所さんが
ついに保健所に通報をしたようなのだ。
「大阪府飼い犬条例」とやらもあり
それを所管する保健所が
乗り出してきて
いよいよ飼い主達は
追い詰められた。
doiron家にも相談に来たし
いろんな人に相談をし、
次に講じた策が
「ワン」と鳴くと
ビリッと電気が流れる首輪を
買ってきてそれを装着することだった。
効果はてきめんで
これでしつけもされているみたいなものだから
大丈夫だと
静かな村の平和は保たれ
飼い主の心にも平安が訪れた。
しかし、意に反して
その平和も長くは続かなかった。
「ワン」と鳴くとビリッと電気が流れるのだが
何かの拍子にその犬は
「オオーン」と遠吠え風に鳴くと
電気が流れないことに気づいたようだ。
その犬が鳴くのは
さびしいからなんだろう
だから、きちんと怒れない飼い主が
鳴き声を聞きつけて
近づくと、怒られているとは思わず
相手をしてもらえると思って
逆に喜ぶのだ。
そうなるとますます図に乗った犬は
快調に「オオーン」と吠え続けるようになった。
しかも、その「オオーン」はやがて
もっと大きな音量の
「グオーン」
になり
最近は、言葉で表記できないような
雄たけびをあげるようにまでなった。
そう、しいて言えば
縄張りを主張する「ホエザル」
あるいは
これは新年にあの
福山がマダガスカルを訪れるという
番組でやっていたのだが
そこでのみ生息するという
原猿の仲間である
「インドリ」の鳴き声にそっくりなのだ。
そんな貴重な野生の声が
こんな都会で聞けるなんて
なんてすばらしい・・・
わけがない!
今夜もその雄たけびは
静かな村に響きわたっている。
いよいよ厄介になってきた。
その犬もかなり老犬になってきており
今はほとんど目が見えない状態であるという。
かくなるうえは
もう雄たけびもあげられないほど
老いさらばえるのを待つほかはないのだろうか。
はたして、向かいが講じる次の策は
なんだろうか。
一見静かな村ではあるが、
人と犬の聖戦は続いている。
チューハイとおつまみのうるめも用意し
TVの前におっチンして
待っていたのに
写ったのは
社屋とそこに貼った張り紙だけ。
そりゃああの張り紙も
半日かけて作って設置したもんだから
それが写っただけでも
喜ばねばねばなんだが・・・
社長の写真どころか
カレーの話どころか
全く空振り。
ぐすん
doironの力不足でしたワイ。
せめて、「松原」の名前を
連呼していたことだけが救いですかな。
次はがんばろー
笑F亭鶴Bと社長の絡みの番組が
明日放映される。
もう一月以上も前の取材だったので、
忘れそうになっていた。
今日、そのテレビ局から
番組で使う写真が送られてきたので、
あらためて思い出した次第だ。
送られてきたのは、ご丁寧に、
社長の写真のほか
秘書の私たちも写ってる集合写真まで
人数分をプリントしてくれていた。
たぶん番組で使われるのは、
社長と鶴Bのツーショットだろう。
それにしても鶴Bは気さくで庶民的で、
すごく親しみの持てる人やなあというのが、
そのときの印象だ。
doironにも、
友達に話をするみたいに
ざっくばらんに話しかけてきてくれた。
同じような目をしてるから、
特に親しみを込めて
というわけでもないだろう。
番組は、この日のゲストが
我が社の中庭でよく待ち合わせをして
集まっていたというエピソードを
写真を見ながら鶴Bと語るというものである。
doironがお土産に
是非とお渡ししたカレーが
登場してくれたらうれしいのだが・・。
社長の写真のみとは
思うのだが、
もし万が一くらいの確率で
doironも登場するかもしれない。
果たしてどうなりますことやら。
放映は午後11時、4chに注目だ。
当時乗ってた車(ハイラックスサーフ)が
突然故障をし、
急遽今も乗ってるアイシスに買い換えた
ことを書いた記憶がある。
そのアイシスももう乗り始めて6年が経ち
走行距離も8万キロを越えた。
地球で言うとふた回り、
光の速さでも0.27秒かかる距離を
走破している。
寛平の2倍を走っている計算でもある。
通勤だけでも一日36キロを走る車だ。
色んな大会や
日常の足代わりとして使っているので
結構乗っている方だと思う。
この車もdoironの身体と同じで
少々ガタがきている。
まずはタイヤ。
これまで一度履き替えているが
安物のタイヤを買っているので
もうかなり磨り減っており
次の車検までは間違いなくもたないと
言われている。
それに、そろそろタイミングベルトの交換や
CVTの分解整備の頃でもある。
エンジンはまだ快調そのものなのだが
外観も、前のバンパーの右の底は
吉野川マラソンの川原の駐車場で
縁石に思いっきりこすっているし
左側も、ジムの駐車場で
壁にこすっている。
また後ろのバンパーも
意外なところに設置されてあった
ガードレールでこすっているので
一見、満身創痍なのである。
この車に乗っている時代は
doironにとっては
波乱の日々が続いていた。
仕事の面では恵まれていたが
趣味の面では
一喜一憂の日々であったなあ。
もちろん楽しい思い出も
いっぱいあるけどね。
全体としては結果的に
不遇の時代を共に過ごしてきたという印象だ。
そんなアイシスとも
そろそろおさらばして
いろんな面で、生活を
リセットしたいなと
思い始めていたときに
年末の入院事件があったわけである。
そのため、ここんところは
そんなことを考える余裕も
全然なくて、
落ち込む日々が続いていたのだが
先日の信太山以来、
ようやく落ち着きを取り戻してきて
いろいろと考えることが
できるようになってきたところで、
またぞろ車の買い替えを
画策し始めている次第だ。
今のアイシスについて
先に書いた、タイヤやエンジン、足回りの
整備をするとなると
3~40万円はかかりそうだし
その分、つぎ込むことを思えば
やはりそろそろ買い替え時なのかもしれません。
今、検討中なのは
やはりサーフに乗ってた時代が
楽しかったので
あれほど大きな車でなくても
RV車がいいなあと思っている。
トヨタなら「RAV4」
日産なら「X-TRAIL」
ホンダなら「CR-X」といったところかな。
これまではトヨタに友達がいたので
次もトヨタだと思っていたのだが
その友達が退職というか
転職をしたので、
そのへんのこだわりはなくなった。
カタログを取り寄せたり
見積もりを出してもらったり
買い替え時期を
義母に占ってもらったりしながら
春までには結論を出したいと
思っている今日この頃だ。