DonkeyMの部屋

Donkeyはロバ。格好良くなく、足も遅い。「のろま」とか「馬鹿」といった意味。日々の感動、怒り、愚痴等を記事にしたい。

死刑と終身刑、どっちが残虐か?

2018-07-13 10:48:59 | 雑感

 オウム真理教事件の関係者の死刑執行が行われた。まるで、西日本の豪雨災害を見越したかのようなタイミングで、マスコミの関心はすぐに西日本の災害に移った。死刑に反対している立場の人からしたら、同時に7人もの死刑執行を行うなんてことは到底容認させることではないだろうから、マスコミの関心の的になったのではないだろうか?そういった意味から、批判をかわしたい法務省から見ると、まさにグッドタイミングだったと言えよう。

 ところで、死刑が確定した者は、執行されるのを拘置所で過ごす。死刑囚は、いつ死刑執行がなされるか、不安の中で、ただただ処刑されるのを待っている。受刑者とは違って、刑の執行、すなわち処刑なのだから、改善は期待されていないし、教育される立場にもない。現在、死刑が確定していて執行されていない死刑囚の多いことには驚かされる。死刑囚の中には、死刑が確定し何十年も執行されずに、死刑執行されることへの不安に晒されいるということも知っておくべきだろう。死刑執行を躊躇するのは、死刑囚にとっても、社会にとっても、決して良いことではないと思う。また、一年間死刑の執行が延びれば、どれ程の税金がそのために使われるかということにも目を向けるべきだろう。その分の税金を上手に使えば、どれだけの命が助かることか、考えてみたことがあるだろうか?

 死刑廃止論者たちは、死刑が残虐だと批判するが、仮に、死刑にならなくても、社会に出ることは、到底難しく、一生、塀の中で暮らすことになるだろう。日本には、「終身刑」というものは存在していないが、それに限りなく近いものになるだろう。現在のところ、一番長いものでも、無期懲役で、本人の資質上の問題等がきちんと改善されていけば、仮釈放という途が残されているし、作業等も課され、集団生活を送り、将来に望みを残している。しかし、死刑と判決されるべきものは、やはりそれとは一線を画しているように思うのだ。そして、仮釈放というのは限りなくゼロに近いということになろう。そんな社会に望みの持てないで、塀の中で一生を送らせることの方が残虐なような気がするのだが、いかがなものだろうか?

 

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