(掘り炬燵)
ある時、オヤジが四角い木製の枠を買ってきた。そして、長男、次男が一緒になって、畳を引きはがし始めた。いったい何が始まるのだろうと時々近づいて様子を見ていた。何と、床板を鋸で切り始めたではないか。この家の人は時にとてつもなく変なことをし始まるので、油断がならないと思いながら見ていると、ぽっかりと開いた穴に、壁みたいな物を作り始めた。そして、それが終わると、今度は、畳を鋸で真っ二つに切ってしまった。本当に大それたことをするもんだ。これまで色々とこの家の人を観察してきたが、今までで一番びっくりしたことの一つだ。二つにした畳の一方をまたはめ込んで、四角になったところの真ん中に練炭火鉢を置き、オヤジが持ってきた木製の四角い枠をはめ込み、上から布団が掛けられた。いったいこの代物は何するものなのだろう。後でわかったことだが、「掘り炬燵」というものらしい。
炬燵の中は、暖かく、とても快適だ。三男坊は、炬燵が暖まるまで待っていられずに、炬燵の中に入り込んで、顔だけ出して、テレビを見ている始末だ。
ところが、この掘り炬燵は快適なばかりではなく、とても危険な代物だった。その危険性を私が身を持って体験し、家族に知らしめてしまった。私も三男坊のように暖を取ろうと、中に入り込んだ。入ってすぐには、暖かく心地よかったが、しばらくうとうとしていると、そのうち、意識朦朧となり、体が動かなくなり、後のことは覚えていない。後で、家の人が言うには、中でぐったりているのを発見され、助け出されたらしい。発見されるのがもう少し遅かったら、私は、こうして生きていなかった。危機一髪、寸でのところで助けられたのだった。これが一酸化炭素中毒になってしまったらしい。
その後は、私が入り込んでいないか、中で倒れていないかと注意を払われるようになった。特に、練炭を熾してすぐのころは臭いがきつく、一酸化炭素も盛んに出るらしく、私が近づこうものなら、追い払われた。しかし、火が熾ってしばらくしてからも、安全とは言えず、私はそれからも助け出されることが続いた。でも、そうした私の失敗が、三男坊が一酸化炭素中毒の怖さを知るきっかけになったのだから、少しは私にも感謝して欲しいものだ。