DonkeyMの部屋

Donkeyはロバ。格好良くなく、足も遅い。「のろま」とか「馬鹿」といった意味。日々の感動、怒り、愚痴等を記事にしたい。

怠け者の言い訳?

2016-12-15 10:36:10 | 雑感

 生を受けて66年、これまでずっと自分を勤勉だと思ってきたが、妻の話を聞いていると、どうも私は怠け者らしい。まあ、そう言われてみると、小学生のころ、宿題忘れの常習犯だったし、自分の身の回りが散らかっていてもほとんど気にならなかった。ただ、これはと思うことには熱中して取り組んできたつもりだったし、努力もしてきたつもりだったから、怠け者とはちょっと違うと思う。

 確かに、最近、どんどん部屋は散らかっていくし、埃の被ったところも目立つようになってきた。これは客観的な事実だろう。

 しかし、私なりの理由が一つある。自分で気になったときには掃除するし、片付けもする。自分としてはやることはやっているわけだ。それを掃除をサボっているように言われると、無性に腹が立つし、きれいになっているじゃないかと思う。

 汚れている、散らかっていると思うかどうかは人によって差があるだろう。だれが見ても、明らかに汚れている、散らかっているという状態は確かにある。しかし、その手前の段階で散らかっていると思うかどうかは、個人の感覚の違いがあるのだということが、どうも妻には理解できないようだ。妻は、移動するたびに、汚れはないか、ゴミはないかと目を皿のようにして探すそぶりを見せる。そして、「そこ拭いておいて!」、「あれ片付けておいて!」といちいちうるさく言ってくる。これには全く閉口、呆れるばかりだ。

 こうしたことが高じて、最近は、掃除しようかと思う一方で、やったってどうせまた掃除の仕方が足りないと文句言ってくるのだから・・・と、掃除するのが億劫になってきた。どうやら、妻の言うように怠け者の仲間入りしたらしい。

 怠け者が悪いことかというと、けっしてそれだけではないと思う。やることを型どおりに片付けていたとしたら、それに不満を思わなかったとしたら、この世に発明はなかったのではないか?発明家というのは、面倒くさいと思う気持ちが先にあり、何とかそれから逃れる術を考え出そうとすることから始まる。箒で掃除することに誰も何の抵抗も思わなかったら、掃除機は生まれなかっただろうし、洗濯機も生まれなかっただろう。発明の根源には、何とか楽に済ませたい、やらずに済ませたいという欲求があるのだと思う。

 これこれ、云々、然々・・・。何を言おうと、所詮、怠け者の言い訳。愚痴でしかない。場からしくなってきた。俺は、本来怠け者なのか?それとも怠け者になってしまったのか?もしも、前者だったら、目も当てられない!あとは、開き直るしか残されていない。

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