春の音連れと共に街中でピカピカのスーツを着た若者たちが目に付くようになりました。
このコロナ禍を無事卒業して社会人になった新人さんたちなんだろうな。
自分にもこういう時があったなあと思いだすと、あの社会人1日目の大変な思い出が蘇ります。
もう40年以上前の事、なんとか就職できたオジサンは他の新人と共に鹿児島市のいわゆる本社で一堂に会し、ありがたいトップの御言葉を頂いた後にそれぞれが「どこどこ勤務を命ずる」という大事な辞令なるものを頂戴して、そのまま初任地に向かう事になりました。
現地に着任するなり午後からは偉い人に連れられて各部署で辞令を見せながら挨拶回りをしなければならないわけです。
丈夫で大きな手提げ袋に大事な辞令を入れて駅へと向かいました。
まだ車なんて持っていなかったので、JR(当時の国鉄)で職場に向かったわけであります。
思ったより早く着きそうだし、向こうの駅に着いたらゆっくり昼ご飯でも食べようかなんて呑気な事を考えながら車窓から田舎を走る景色を眺めていたら、なんだか緊張がほぐれてウトウトしちゃたんですね。
そして、目的の駅に着いた時のアナウンスでハッとしてホームに飛び降りた青年A。
「はあ、良かったあ、寝過ごしたら次の駅はずっと先だったよ、へへ・・」と笑いながらも「ヘヘ・・」の途中で一瞬にして青ざめた。
そうです、皆さん、お察しの通り
「ない、ない、無いよ・・俺の辞令!」
両手を代わる代わる何回も見たところで無い物は無いのである。
ふと我に返り、「あ、網棚・・だ!」
列車の席に着くなり、落とさないようにと網棚の上に乗せたのを思い出したのでありました。
私の大事な辞令を乗せたまま、だんだん小さくなっていくオレンジ色のディーゼルカーを見つめて呆然とホームに立ち尽くす青年A。
トボトボと改札口に進み、駅員さんに「すみませ~ん、今の列車に忘れ物をしたんですが・・」
この時、たぶん泣きそうな顔で訴えていたと思います。
駅員さんは落ち着いた様子で何やらちょっと機械の表示板を確認して、「今の列車は次の栗野駅でしばらく止まって、その後に折り返し運転だね。」
「帰ってくるんですか?」
「うん、でも夕方の5時過ぎになるよ。」
「え~・・」とうなだれる哀れな青年Aを見て、「向こうに連絡して駅に置いといてもらうからすぐタクシーで走りなさいよ。」と。
うなだれたままお礼を言うと止まっていたタクシーに乗り込み、事情を説明すると勢いよく飛ばしてくれました。
何しろ現在11時過ぎ、あっちの駅までタクシーで飛ばしても片道40分くらいなので挨拶まわりが始まる午後1時まではギリギリなのであります。
駅に着くとちゃんと駅員さんが保管してくれており、ニッコリ笑いながら手渡してくれました。
そして直ぐに引き返して私の職場まで急いでくれた運転手さん、本当はもっとしたと思うのですが「5,000円で良いよ」と言ってくれました。
昼食は無しでしたが、なんとか時間前に職場にたどり着き、何事も無かったように挨拶まわりも終わり、どっと疲れた社会人1日目の夜。
寮の小さな部屋の裸電球を消しながら、「タクシー代で減った分の生活費をどうやって給料日までもたせるかなあ?」と新たに心配を始める青年Aでありました。