DT200Aの庫 (goo-blg)

2013年、今年もいろいろありがとうございました!


 鉄道車両にとってこの様な形でその姿を残す事が幸せなのか、不幸なのかは判断しがたものがありますが、夕陽に輝くその姿にかつて東横線を、そして大井町線を走っていた姿を眼に浮かべるられる事が出来たのは事実です。   13,11,30 弘南鉄道大鰐線津軽大沢  14:35頃  Canon EOS7D

 2013年もあと47時間を残すばかりとなりました。鉄ちゃんにとって2013年はそれまでの年に比べて比較的、平穏な年だったのではないでしょうか?
 2013年に消えた線区、形式と言えば最初に思いつくのがしなの鉄道の169系の全面引退だったのではないでしょうか?かつて信越線だったしなの鉄道軽井沢―篠ノ井間を最後まで走り続けていられた169系は私達に良い被写体となった以上に、169系にとっても最後の舞台としては最高の演出の場だったと言って過言では無いと思います。
 また、その別れは突然、予期せぬ形で訪れたのが通称”岡見貨物”と呼ばれている美祢―岡見間の相互方向による貨物輸送の終焉でした。今年の夏はゲリラ豪雨というのが流行語になるほど今まで経験のなかった雨量で大きな被害を受けた地方が沢山ありましたが、その中に山口線の地福から津和野にかけての地域がありました。観光路線でもある山口線が豪雨による水害でズタズタに寸断されシゴナナ1号機の活躍の場を失う事になりました。この災害は同線を経由していた岡見貨物にも重大な危機を迎える結果となり山口線が運転再開の目途の立たない現状で美祢線不通時にも持ちこたえた同貨物輸送はついに力尽き、正式に廃止が決定したのはつい先日の事でした。また、何度も危機(廃止)を乗り越えてきた紀勢線の貨物列車(通称:鵜殿貨物)も廃止になったのは今年のことでした。前述の岡見貨物と共に全国的にも希少価値が増しているDD51にとって活躍の場が同じ年に2線区も失われたことは痛恨の極みと言うところではないでしょうか?


 桜の蕾が開き出し、田んぼに水が張られた季節に国鉄気動車が小駅に到着します。この光景がこの現代に今も繰り広げられている事自体、奇跡の何物でもないと思います。全くの余談ですが、この日は昼頃には天気が崩れ、同行していた湘南チサ區様と相模鉄労様、更には途中から合流したもーたーまん様と4人はそそくさと帰路に着いて夕方には茅ヶ崎で居酒屋の客となり楽しく呑んでいました(笑)。   13,03,23 いすみ鉄道新田野 100D 08:43頃 Canon EOS-1v RDP-Ⅲ(+1)

 2013年は別れの年ではなく、新たな出逢いのとしだった気がします。春にはいすみ鉄道でキハ28が再デビューし、さらにはおとなりの小湊鉄道では里見駅に交換設備が復活され、この効率化重視の世の中で非自動閉塞のスタフが上総牛久―里見間に戻ってきたの現代の奇跡に等しく、私達、閉塞オタクにとっては腰を抜かさんばかりの驚きでした。このふたつの復活は撮影のために千葉通いが決定的になったのは言うまでもないのですが、往復のアクセスには欠かせないアクアラインの土休日の渋滞には(特に帰りの夕方)閉口しているのも事実です。
 また、まだ撮影の機会どころか、現車両すら眼にしていませんが新たな鉄道の旅行スタイルを提案したJR九州の”ななつ星”のデビューを忘れてはならないと思います。今まで船舶のクルージングしか頭に描けなかった日本人にとってこの゛ななつ星゛のデビューは列車に乗る事を楽しむと言う新たなスタイルへの第一歩(挑戦)となり、大げさな事を言えばカルチャーショックになる(なった)のかもしれません。この”ななつ星”ではJR貨物のDF200がはじめて旅客会社仕様とし作成された事も特筆されるのではないでしょうか?更にシックな塗装に磨き上げられたボディーは今まで見たことのない鉄道車両の輝きは現車を見る前から期待が高まります(ただケバケバしい装飾はいただけませんが)。更に廃止を前提としていた石北線の貨物列車(通称:石北貨物)は関係者の努力によりトラック全面輸送化による廃止前提から、列車輸送の再検討へと話が進んでいるようです。既に石北線へDF200が入線試験を済ませているのはご存知の通りですが、これは2014年以降の運転を見込んでの試験であったことは容易に察しがつきます。ただJR貨物としては存続するかどうかは白紙と言う立場は崩しておらず、今後の動きが気になります。
 一方で石北貨物がDF200化されると言うことになれば、それは北海道内でのDD51貨物列車の終焉と言うことにもなります。一昔前なら北海道内にウジャウジャいたDD51も風前の灯ですが、DD51を追い出したDF200も1号機がデビューしてから20年が経ち、この機関車も寿命はありますから石北貨物が残るのであれば、新たにDF200を撮影に石北線に撮影に行く事ななりそうです。であればDD51が消える悲しさよりこれからしばらくはDF200によって走り続ける石北貨物が撮れる嬉しさが上回るのではないかと言うのが私の感想です。


 公共性の高い鉄道会社ては不採算=淘汰・廃止と言う選択肢を安易に執るべきでは無いと思います。来春に廃止を予定しているJR北海道の江差線木古内―江差間もそのひとつだと思います。確かに江差と函館を結ぶだけであれば国道227号が整備され冬季でもほとんど交通障害もなく通行出来るようですが、ひとたび江差を外れてしまえば厳しい冬には除雪もままならず、湯ノ岱温泉などただでさえ秘境温泉なのにさらなる衰退の一途を辿るのではないかと危惧しています。この江差線一部廃止に関してはJR北海道の経営状態を考えると廃止やむなしと言う意見を聞きますが、そうであれば誇り高き国民の足であった国鉄がJRになって採算重視となった悪しき例として後世に語り継がれる事になると思います。    13,07,02 中須田 120D 09:03頃  Canon EOS7D

 最後に鉄ちゃんである前に私達は日本国民であります。その私が住む日本が進んではいけない方向に舵をきった年が2013年だった気がします。機密保護法がしかり、意図的にマスコミも報道しなかった武器輸出禁止三原則をないがしろにする国連PKOへの武器提供もしかり、更にはかつてアジアの国々に多大なる被害を与えた大日本帝国の蛮行を忘れたかのように靖国神社参拝を強行する安倍政権の極右行動もしかりです(靖国神社はA級戦犯が合祀されてないであれば無名戦士の鎮魂のための神社ですので何ら問題はないと思います)。あと半世紀もすると日本はアジアを、そして世界を敵に回し孤立する国になり、何時か辿った戦争への道を歩むのではないかと大いに危惧し年でもありました。
 私は子供がいませんので自分が生きている間に戦争が起きなければ良いのですが、子供がいる人(親)たちは自分の子供の世代、孫の世代に自分の肉親が戦場に借り出されて犬死する事にならぬようにもっと政治に興味と感心をもってもらいたいと切に願うばかりです。北朝鮮みたいに見せしめで弁明の場も与えられず意図も容易く死刑が出来てしまう強権政治にならないためも、そしてシリアの様に対立する政治勢力が内紛状態になり民を無視した抗争を繰り返す様な事にならぬ様にするためにも民主主義の根幹である選挙で(主義主張は異なっても)正しい人を選び国民が政治家を、そして政治家は与野党がお互いを鋭い目をもって相互監視して正しい道を探る日本にしないと日本は滅びてしまうのではないでしょうか?
 政治参加と言う日本国民としての当然の権利と義務をはたして欲しと感じた年もありませんでした。゛過ちは繰り返しません。゛と言う広島原爆資料館にあった言葉がその意味を今、我々に問われていれと思います。
 ゛反戦・平和・連帯゛の赤旗をたなびかせ民の声を政治にもう一度、届けましょう!


 いろいろありましたが、まぁ・・・暇を持て余しているのなら2014年も宜しくお願いします。   13,12,14 会津鉄道湯野上温泉  湘南チサ區さま撮影 08:34頃 Canon EOS7D

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