時に、祈りたい気持ちになります。
2007年9月24日の記事を再掲いたします。
*****************************************
頂いたコメントがあまりに切なくて.
mikiさんからのコメント
ココをクリックしてください。
mikiさんに 下記のゴスペルを
お送りしたいと思います。
It Is Well with My Soul
When peace like a riverer
attendeth my way,
When sorrows like seabillows roll;
Whatever my lot,
Thou has taught me to say,
It is well, with my soul.
やすけさは川のごとく
こころひたすとき
かなしみは波のごとく
わが胸 満たすとき
すべて、安し
み神ともにませば
この聖歌の作者であるスパフォードは
シカゴ大火災で息子を亡くし
破産してしまいます。
その後、大西洋上の船の事故で
娘4人を亡くしてしまいます。
ただ一人生き残ったと
妻は電報を送ります。
その後、スパフォード自身の船で
娘を失った海上を通過したとき
脳裏に浮かんだのが
このゴスペルの歌詞なのだそうです。
そのことが、このページに書かれています。
そこには、さらにこのように書かれています。
They speak to the eternal hope
that all believers have,
no matter what pain and grief befall them on earth.
この地上で
どんなに痛みや悲しみがあろうとも
信じる者が持っている
永遠の希望について語っていると。
you tube のこのゴスペルは
本当に聞きごたえがあります。
YOU TUBE : It is well with my soul
私は残念ながら
クリスチャンではありません。
でも、人を超えた大きな力は
あるだろうと思っており
それに守られていることに
日々感謝しています。
mikiさんが
この困難な時を乗り越えらるよう
守られ、力が与えられますように。
川のような平穏が
心をひたしてくれる日が来ますように。
************************************
大切なチームメンバーが
今経験している難しい局面を乗り越えて行けますように。
その先で、何かを得てくれますように。
今夜、心安く平和の内にありますように。
最新の画像[もっと見る]
- 医療者は知っていて欲しい上腸間膜動脈症候群 4日前
- めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月かな 2週間前
- つらさのマウント:応酬が始まったら・・ 2週間前
- 半夏瀉心湯のこと:明日の外来に活かせそう! 4週間前
- 頑張っているのに誰も褒めてくれない・・と呟いた患者さんへ 1ヶ月前
- タバコが止められない患者さんのこと 1ヶ月前
- 残暑だけど、感染症はどうなってる?:コロナ、手足口病、溶連菌、インフル・・多彩です 2ヶ月前
- 入院料の条件に盛り込まれた「人生の最終段階における適切な意思決定支援の推進」 2ヶ月前
- 入院料の条件に盛り込まれた「人生の最終段階における適切な意思決定支援の推進」 2ヶ月前
- 入院料の条件に盛り込まれた「人生の最終段階における適切な意思決定支援の推進」 2ヶ月前
激しい痛みや、呼吸困難、体や首のしめつけなど、
心身の両面に及ぶ、非常に痛く苦し症状が延々と続く私たち「認められない病」の患者にも、
医師による、「緩和ケア」の必要性を強く感じています。
すべての科の医師の皆様に、
この病態の症状のすべてをご理解いただき、
一人でも多くの医師の皆様のお力をおかりしたいと
私たち患者は願っています。
どうか、ご理解のほど、
よろしくお願いします。
それでも彼には傍らにmikiさんがいてくれた事は何よりの支えだったと思います。mikiさんの書き込みでこうして頑張ると約束してくださる医療従事者の方もいらっしゃいます。mikiさん達の辛さ無念さが今後に生かされ、同じような辛さを経験する人が一人でも減る事を信じながら・・・時間はきっといつかmikiさんに穏やかな時間を取り戻させてくれるはずです。その日が訪れます事を東北の片隅で私も願わせていただきます。
そんな悲しい思いを患者さんやその周りの人にしてほしくない・・・私はナースとしてもっと努力していかなくてはいけないと思いました。
mikiさん、今はとても悲しくてお辛いでしょう。
それでも、どれほどの時間がかかるかは分かりませんが、きっと穏やかな毎日が戻ってくることを信じていてほしいと思います。
心より感謝します。
長い文になり、読んでくださって痛みを受け取って下さった方、辛くさせてすいません。そして痛みを受け止めて頂いて、ありがとうございます。
自分だけではないんだなと思いました。
励ましも心に響き、涙しました。
彼に『おまえおらんかったら、どうなってたかわからん。お前だけが味方や』と言った言葉思い出しました。自分の思いが伝わらない環境にいたんだなと。
ここに書くまで、この気持ちは自分一人のもので、友人や家族周りのものに泣いたり気持ちを伝えて、聞いた者に辛い思いをさせるなら自分だけで十分と。
彼のご両親の痛みや辛い思いまで、聞いてる日々。
どういう風に彼はしてたのかなど話してと言われて話して。『そんな風にしてて、そんな風に思って、希望もってたんやな』と。
亡くなってるのに話す、今知ったの?みたいな。
彼の実家からの電話『元気ないから元気ださせてもらおうと思って』
と言われるのも、痛み辛さは比べれないけど、今までほっといて今私に元気を。そこも私に望むのと。
そう思ってしまう自分もいやで。
自分が情けなくなり。
亡くなって終わりということではないという思い。まだ終わってないと。彼の頑張りや、これからの想いは、最期眠ってしらないままだから。伝えないとと。
医療過誤で調べていくうち、何か違うと。
緩和ケアにたどり着きました。そんな事さえ知らなかった。
ここに書き込んだことにより、みなさんの言葉や医療の方でこう伝わったという事で少し心がかわりました。
彼のご両親にも緩和ケアがなかったからこうなってるんだと思えるように。
『愛する人を側にいながら知らなかったんだよ。急に危篤話せません。と。おとうはおかあがいておかあにはおとうがいて。同じ思いの人がいるんだから、辛い気持ちは支えあって。辛い辛いと言われるの自分が辛い、寂しいというのは、今の私は受け止めてあげれない。でもね、彼が見つけてもらえず、悔しく思ってるな、彼がどうやろと彼の為に泣いてるなら同じだから
話しよ。楽しかったこととか。彼に対していなくて寂しい、辛いという思いは私は彼が聞いてて辛いと思うから、1番悔しかったのは彼だからそれを聞いて彼はもっと辛いよ。ね、生きてるんだから私たちは、生きたかった彼に失礼だよ。自分で乗り越えていくしかね。ごめんね』と言える様になりました。
自分の意見ですけど。
緩和ケアという言葉が幅広く知られ、辛い立場にたたされた患者さんやご家族、そしてパートナー、それにかかわる医療関係に方々が共に歩んで、何よりも
マーボーさんのケースでも、底にある
『誰もが彼を助けたい思い』
患者さんが本当の当事者のことを考えた、当たり前の医療になることを。
また長々としませんでした。
部分的なコメントを・・
基本的には、多くの医療者は病名や病状は伝えるスタンスです。ただ、一番のキーパーソン(mikiさんの場合は彼のご両親だったのでしょう)に本人に言ってほしくないと言われると言えない現状におかれます。
緩和ケアのコンサルテーションにあたっていると、家族に言われるいくつものNoで主治医が悩み苦しむ姿をみることは実は稀なことではありません。そこで、ご家族に何度も何度もアプローチしてやっとご本人に話させてもらいましたという医師もいます。が、本当に大切なのは、医療者の問題としてとらえるのではなく、真実を丁寧に伝えて、皆で支えあうという姿勢は、社会全体でそういう視点をもつよう変わっていかなければならないことなのではないでしょうか。
感情を吐き出してしまい。
一気に自分の思いを出して、上のコメント書いてから反省しました。
少し卑屈になってしまっていました。
そして、いろいろなお辛い思いされている方なのに
言葉を頂いてわかる事が多々ありました。
そして、暖かい励ましをありがとうございました。
そのなかで、やはり告知についていろいろ考えさせられることがあります。
最近では、最初の病状説明で告知をされる先生がほとんどになりましたが、やはり家族の強い希望で「最後まで絶対言わないでください」と言われる方がいます。
でも、ちゃんと自分の病気を知らされない患者さんは、逆に苦しむような気がします。
「なんで、手術をしたのに良くならないの?」
「どんどん悪くなっていくのは、悪い病気なの?みんな隠しているんじゃないの?」
「この薬は何の薬なの?」「何で、先生は治療をしてくれないの?」
こんな言葉を、もう何度もききました。
治療をしてもらえない不信感、何の薬かわからない不信感(特に麻薬が必要になってくれば、どう説明しろと言うのか?)どんどん悪化していく恐怖・・・
家族へは、嘘の上に嘘を重ね、向き合うことをせず、本音を語る機会を失い、「ありがとう」も「さようなら」も言えないまま・・・
面と向かって、がん宣告をされるときの悲嘆や恐怖ははかりしれないけれど、人は強い。
そこに愛する人がいればなおのこと、悲嘆の後には感謝や、これからどうバトンを渡すのか考えられると思うのです。
まして、一番大切な人にも知らせないなんて、あってはいけない事だと思います。
医療者は、告知をすることの意味をちゃんと伝えられなければいけないと思います。