緩和ケア医の日々所感

日常の中でがんや疾病を生きることを考えていきたいなあと思っています

都道府県対抗ジュニアバスケットボール大会

2006年03月29日 | 家族

前ブログにも書いたが、次男はバスケ命の中学生
彼が目標にしていた、
都道府県対抗ジュニアバスケットボール大会(選抜中学生大会)が昨日予選、今日から本選トーナメントが始まった。

昨年9月、この選抜メンバーの地区推薦となる新人戦の1ヶ月前に、足首の靭帯断裂でギブスとなった。整形外科医2人に見てもらったが、いずれも本格的にバスケができるようになるのには2ヶ月後との診断だった。

母としては奮い立った。
3日間のクーリング後、抗炎症治療を行いながらリハビリメニューを組み立てた。専門医が予定した7日前に固定をはずす準備にかかり、歩行は予定より2週間早めることが出来た。この間、下肢を固定したシュート練習を始め、結果的に復帰第一線の驚異的なシュートにつながったように(かってに母は)思っている。5週間後、新人戦第3戦優勝候補との試合に出、活躍することができ選抜メンバー候補に推薦を受けた。

この時、感じた。
医師は治療のガイドラインに沿って治療計画を立てる。患者の家族の立場に立ったとき、一律なガイドラインではなく、個別性を重視してほしかったと。次男の場合はどうしても強化選手の推薦を受けたかった。それには、新人戦に出場して優勝することが条件だった。足の状態から5週間後の試合というのはぎりぎりであることくらい専門医ではない私でも理解できたが、そのぎりぎりで回復させていくことに精一杯支援をしてほしかった。でも、こんこんちきのカタカタ頭の整形外科医は2ヶ月後でなければコートには無理だと言い張った。患者さんやご家族の気持ちが痛いほど感じられた出来事だった。
次男の回復力に助けられたが、「親が医者でよかったでしょ」と恩を売っておくには絶好の機会だったように思う。

さて、結果的に代表選手最終選考会の一歩手前で落ちてしまったが、次男は怪我と焦りという辛さを乗り越えることができたと自ら感じたようだった。今日の試合観戦から帰ってきて、「友達がね、もしかしたら、あのコートに立ってたんだよなあ。有賀ってすごいよなって言ってくれた」とすっきりした顔で話してくれた。
コイツ、どんどん素敵な奴になっていくなぁ・・


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