ゴミ回収して、不安解消・・・
安平町クリーンプロジェクト
災害ボランティア3日目
【9月24日(祝月)】
地元災害ボランティアに今日も参加した。
ボランティアとしてはまだ3日目、いくらお手伝いしても足りない程作業は多い。
22日からの三連休で集まったボランティアは、22日約300名、23日約400名
そして24日は約200名と報告があった。(ボランティアセンターより)
でも25日以降平日になるとボランティアの数は極端に減ります・・・とも言われ
ボランティアセンターとしてもこの「三連休が勝負」と、していたようだ。
その一つが、町内のクリーンプロジェクト
被災した各住宅から出された「災害ゴミ」は個々の家の前に山積みだった。
家の中がようやく片付き始めても家の前に山積みされたゴミが無くならないと
被災された方々は、いつまでも気持ちは晴れない・・・。
町の見立てでもすべてのゴミを回収するには3ヵ月から半年はかかるだろうと見込んで
いたが、3ヵ月が過ぎると雪の季節到来となってしまう。ボランティアセンターとしては
これを三日間で終わらせようと集中作戦を組む事にした。
安平町全戸訪問を二度に渡って実施。
町民のニーズに応え家屋清掃作業のお手伝いや災害ゴミの出し方などを完全周知。
その上でクリーンプロジェクトによる全戸回収作業を実施するという手順のようだった。
回収に必要なトラックは、地元企業や農家から無償のレンタルで各日約30台を確保。
そして運転手、ゴミ回収作業班、ゴミ回収場での分別班等々は、集まったボランティアから
割り振りする。
回る地域も集中的に追分地区、早来地区と順次行い「回収しては捨てる」作業を繰り返した。
22日~23日で追分地区の回収をほぼ終えて24日は早来地区の集中回収を行った。
1チームの作業班は約15名、トラック3台~5台が当てられそれぞれ地区を指定して
回収に回った。
私たちの班は14名、高校生から70代までまさに老若男女入り混じる混成チーム。
リーダーを中心に一軒、一軒歩いて回りながら山積みされた災害ゴミをトラックに積んでいく。
トラックはあっと言う間に一杯になるとすぐに回収場に捨てに行きすぐに戻って来る。
10時~17時まで休憩を入れながらも決して楽な作業ではない。
しかし、山積みされていたゴミがスッキリすると町民の方々は笑顔になって私たちに頭を下げる。
「本当に助かりました!」「ありがとうございます!」と皆さんからのお礼と笑顔が何より元気に
変わる。
こうして、夕方までに早来町全戸のゴミ回収を終えたとセンターから報告があると
作業を終えたボランティアから歓声と拍手と笑顔が広がった!
安平町早来にある防災ボランティアセンター前に集まったボランティアの方々
崩れたブロック塀のガレキを運ぶボランティアの仲間たち
トラックに災害ゴミを積み込むボランティアたち
この日同じ班になったボランティアの方々(一部)と記念に・・・
★ 歩いて知る被災の奥側・・・
停電はほぼ100%通電するも断水している地域は一部残っている。
被災した家に戻れず避難所生活を余儀なくされている方々もまだまだ多い。
自宅に帰る事が出来ても高齢の方の家は被災当時のまま・・というお宅もあった。
住宅を外から見たのと家の中の被害は、その差が大きくショックを受ける。
古いお宅の被害は大きく、新しいお宅の被害は小さいとは言い切れず「罹災証明」が
発行されても家を直す、建て替える費用はどこから出るんだろうか・・・?
特に高齢者の方々にとっては高額な修繕費用は払えず「路頭に迷う」のは明白だ。
無利息での融資もあるかも知れない。でも借りたお金は返さなければならないのが
被災者に伸し掛かったプレッシャーであり責任になってしまうのだと思うと心が痛む。
自分自身も被災して今後それなりの費用は掛かるだろう。
被災証明を貰い保険会社に提出しても掛かった費用のほんの一部でしかない。
まして「地震保険」でなければ保険の金額は微少だ。
一軒、一軒、一人ひとりの事情は違う。
家(うち)は、これで済んだが隣は半壊・・・なんで?
ボランティアに初めて参加して見えて来るものがある。
自分では、体を使ったお手伝いしか出来ない。それもほんの一日二日・・・。
ずっと寄り添えないもどかしさ・・・。
被災地を一つ一つ歩いて見ると被災地の奥側に隠れた苦悩が見えて来る。
いくらインフラが復旧しても物流が戻っても手厚い支援を求めるエンドレスな戦いを
強いられているのは被災者たち。国や道、地域自治体と継続したボランティアの方々が
迅速かつ絶え間なく支援下さることを切に願う。
いままでは、ほんと「他人事」だった・・・。
「申し訳ない」「恥ずかしい」の一言では済まない事だが、これを機に自分に変化が
起きた事は間違いない。
これからも機会ある毎に微力ながらお手伝い出来ればと思っている。
安平町クリーンプロジェクト
災害ボランティア3日目
【9月24日(祝月)】
地元災害ボランティアに今日も参加した。
ボランティアとしてはまだ3日目、いくらお手伝いしても足りない程作業は多い。
22日からの三連休で集まったボランティアは、22日約300名、23日約400名
そして24日は約200名と報告があった。(ボランティアセンターより)
でも25日以降平日になるとボランティアの数は極端に減ります・・・とも言われ
ボランティアセンターとしてもこの「三連休が勝負」と、していたようだ。
その一つが、町内のクリーンプロジェクト
被災した各住宅から出された「災害ゴミ」は個々の家の前に山積みだった。
家の中がようやく片付き始めても家の前に山積みされたゴミが無くならないと
被災された方々は、いつまでも気持ちは晴れない・・・。
町の見立てでもすべてのゴミを回収するには3ヵ月から半年はかかるだろうと見込んで
いたが、3ヵ月が過ぎると雪の季節到来となってしまう。ボランティアセンターとしては
これを三日間で終わらせようと集中作戦を組む事にした。
安平町全戸訪問を二度に渡って実施。
町民のニーズに応え家屋清掃作業のお手伝いや災害ゴミの出し方などを完全周知。
その上でクリーンプロジェクトによる全戸回収作業を実施するという手順のようだった。
回収に必要なトラックは、地元企業や農家から無償のレンタルで各日約30台を確保。
そして運転手、ゴミ回収作業班、ゴミ回収場での分別班等々は、集まったボランティアから
割り振りする。
回る地域も集中的に追分地区、早来地区と順次行い「回収しては捨てる」作業を繰り返した。
22日~23日で追分地区の回収をほぼ終えて24日は早来地区の集中回収を行った。
1チームの作業班は約15名、トラック3台~5台が当てられそれぞれ地区を指定して
回収に回った。
私たちの班は14名、高校生から70代までまさに老若男女入り混じる混成チーム。
リーダーを中心に一軒、一軒歩いて回りながら山積みされた災害ゴミをトラックに積んでいく。
トラックはあっと言う間に一杯になるとすぐに回収場に捨てに行きすぐに戻って来る。
10時~17時まで休憩を入れながらも決して楽な作業ではない。
しかし、山積みされていたゴミがスッキリすると町民の方々は笑顔になって私たちに頭を下げる。
「本当に助かりました!」「ありがとうございます!」と皆さんからのお礼と笑顔が何より元気に
変わる。
こうして、夕方までに早来町全戸のゴミ回収を終えたとセンターから報告があると
作業を終えたボランティアから歓声と拍手と笑顔が広がった!
安平町早来にある防災ボランティアセンター前に集まったボランティアの方々
崩れたブロック塀のガレキを運ぶボランティアの仲間たち
トラックに災害ゴミを積み込むボランティアたち
この日同じ班になったボランティアの方々(一部)と記念に・・・
★ 歩いて知る被災の奥側・・・
停電はほぼ100%通電するも断水している地域は一部残っている。
被災した家に戻れず避難所生活を余儀なくされている方々もまだまだ多い。
自宅に帰る事が出来ても高齢の方の家は被災当時のまま・・というお宅もあった。
住宅を外から見たのと家の中の被害は、その差が大きくショックを受ける。
古いお宅の被害は大きく、新しいお宅の被害は小さいとは言い切れず「罹災証明」が
発行されても家を直す、建て替える費用はどこから出るんだろうか・・・?
特に高齢者の方々にとっては高額な修繕費用は払えず「路頭に迷う」のは明白だ。
無利息での融資もあるかも知れない。でも借りたお金は返さなければならないのが
被災者に伸し掛かったプレッシャーであり責任になってしまうのだと思うと心が痛む。
自分自身も被災して今後それなりの費用は掛かるだろう。
被災証明を貰い保険会社に提出しても掛かった費用のほんの一部でしかない。
まして「地震保険」でなければ保険の金額は微少だ。
一軒、一軒、一人ひとりの事情は違う。
家(うち)は、これで済んだが隣は半壊・・・なんで?
ボランティアに初めて参加して見えて来るものがある。
自分では、体を使ったお手伝いしか出来ない。それもほんの一日二日・・・。
ずっと寄り添えないもどかしさ・・・。
被災地を一つ一つ歩いて見ると被災地の奥側に隠れた苦悩が見えて来る。
いくらインフラが復旧しても物流が戻っても手厚い支援を求めるエンドレスな戦いを
強いられているのは被災者たち。国や道、地域自治体と継続したボランティアの方々が
迅速かつ絶え間なく支援下さることを切に願う。
いままでは、ほんと「他人事」だった・・・。
「申し訳ない」「恥ずかしい」の一言では済まない事だが、これを機に自分に変化が
起きた事は間違いない。
これからも機会ある毎に微力ながらお手伝い出来ればと思っている。
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