元気なだけでは働けない時代
日本の高齢化社会を見据えて始まったのが「高齢者事業団」1975年東京から始まり徐々に全国各地
に普及して行った。この高齢者事業団とは、一般雇用を望まない高齢者を対象として、その能力と
希望に応じて仕事を提供するための事業体。1980年には労働省(現厚生労働省) の経費補助事業と
して初めて国が予算措置をとった。その高齢者事業団のうち、運営費が国の補助対象となっている
事業団はシルバー人材センターとよばれている。
利益を追求する企業とは異なり、「高齢者がそれぞれの能力や希望に沿った仕事に就ける」と言う
のがこれまでのうたい文句だった。隙間産業とも言われ企業では受けられない仕事を赤字にならな
い程度に就労して頂ければOKというイメージだった。
雇用保険法の制定、高年齢者雇用安定法 (1986) などにより高齢者の雇用継続、定年延長、高齢者
雇用率の設定、さらには中高年齢者雇用開発給付金、高齢者雇用奨励金、あるいは職場適用訓練等
の諸措置などが進められてきて、高齢者の雇用対策は徐々に進んで来たと言える。
シルバー人材センターも、発足から約40年となり様々な業種と働き方改革も進められて来たことだ
ろう・・。
約4年前、63歳で退職してすぐにシルバー人材センターの存在を知り登録したが、その時のイメー
ジは正に出来る仕事だけ、好きな作業なら、いつでも休めるという手軽なアルバイト程度にしか思
っていなかった。そして、希望としては月数万円を稼げればOKで、好きな山登りが出来て、G代
も必要な道具も買えるかな?と経済的な悩みから解放された気分だった。
しかし、そうは甘くなかった・・・。
日本の高齢化社会を見据えて始まったのが「高齢者事業団」1975年東京から始まり徐々に全国各地
に普及して行った。この高齢者事業団とは、一般雇用を望まない高齢者を対象として、その能力と
希望に応じて仕事を提供するための事業体。1980年には労働省(現厚生労働省) の経費補助事業と
して初めて国が予算措置をとった。その高齢者事業団のうち、運営費が国の補助対象となっている
事業団はシルバー人材センターとよばれている。
利益を追求する企業とは異なり、「高齢者がそれぞれの能力や希望に沿った仕事に就ける」と言う
のがこれまでのうたい文句だった。隙間産業とも言われ企業では受けられない仕事を赤字にならな
い程度に就労して頂ければOKというイメージだった。
雇用保険法の制定、高年齢者雇用安定法 (1986) などにより高齢者の雇用継続、定年延長、高齢者
雇用率の設定、さらには中高年齢者雇用開発給付金、高齢者雇用奨励金、あるいは職場適用訓練等
の諸措置などが進められてきて、高齢者の雇用対策は徐々に進んで来たと言える。
シルバー人材センターも、発足から約40年となり様々な業種と働き方改革も進められて来たことだ
ろう・・。
約4年前、63歳で退職してすぐにシルバー人材センターの存在を知り登録したが、その時のイメー
ジは正に出来る仕事だけ、好きな作業なら、いつでも休めるという手軽なアルバイト程度にしか思
っていなかった。そして、希望としては月数万円を稼げればOKで、好きな山登りが出来て、G代
も必要な道具も買えるかな?と経済的な悩みから解放された気分だった。
しかし、そうは甘くなかった・・・。