エバ夫婦の山紀行ログ

道産子60代、四季を通じて主に夫婦で登った北海道の山を中心に紀行文を載せています。アウトドア大好き夫婦。

追悼・父、最後の登山・・・

2015年04月03日 | 山へ行かない日
<山へ行かない日>
追悼・・・父、最後の山・・・
2005年7月24日、町民登山で登った「塩谷丸山(629m)

【4月3日(金)】 雨
雨の休日です。
予定していた外での行動はすべてキャンセルした。屋根に打ち付ける雨音がうるさい・・・。
昨夜は少し熱が出て酒も飲まずに就寝・・・もう歳かな?(少しの熱で弱気になる小心者)
今朝5時半には起きてすぐにパソコンの前に座る・・・。(ある意味日課です)
家でゴロゴロも良いけれど、ふと昔の山行記録に目を通していると父と登った記録があった。

2005年7月24日 わが街の「町民登山」で参加した「塩谷丸山」の記録。
「もう、10年も前になるんだなぁ~」・・・と過ぎた時の早さを感じながら、「そう言えばこの登山が
父の最後の山だったなぁ~」と改めて思い出す。

父は、この登山を終えた翌月に体調を崩し入院。
医師から「進行性の膀胱ガン」で、すでに末期状態、余命3ヶ月と告げられた。
その後入退院を繰り返しながら療養するも2006年2月27日、家族が見守る中静かに息を引き取った。
満78歳だった・・・。

本人はもちろんだが、家族にとっても突然のガンの告知とあまりにも短い「オヤジの死」に直面し
アッいう間に過ぎた数カ月だったと今に思う。

山へ行かない日・・・当時の父の事を偲びながら山行記録をブログに再現してみました。



JR塩谷駅前の駐車場から登山口に向けて歩き出す一行・・・


この時始めて見た「オオウバユリ」・・・なんちゅう名前だ!と思った。


10歩登っては足を止めて動悸を収める父・・・


クルマユリ


ヤナギラン


シロバナニガナ


ハナニガナ


エゾキリンソウ


登山道にて 父とチーヤン


もう少しで頂上だよ・・・!

★ 追分町としても最後の町民登山・・・
来年度(2006年度)からとなり町の早来町と合併し安平町に改名となるため、
追分町としての町民登山はこの年で最後となった。父も78歳となりましたが
毎年町民登山に参加する事を楽しみにしていてこの時も元気でした。

とは言っても、一行のメンバーと同じように登る事は出来ず休み休みゆっくりと登るので
いつも私たちがサポートしながら最後部からの登山でした。


<コースタイム>  登り 約2時間    下り 約1時間
<登り>
 9:15     JR塩谷駅前駐車場到着
 9:22     登山開始
 9:35~40  本来の登山口
11:35     塩谷丸山 頂上

<下り>
12:20     下山開始
13:30     本来の登山口
13:50     駐車場



参加者は32名 塩谷丸山頂上にて集合写真

★ 追悼登山・・・
2007年、新生・安平町になってから参加した町民登山(ニセコイワオヌプリ)を
キッカケに父を偲ぶ追悼登山を毎年しようねと夫婦の会話。
出来れば父の最後の山となった「塩谷丸山」に毎年登って追悼しよう!・・・だったが、
オヤジゴメン・・・実際には毎年は出来ませんでした。

2011年3月11日、追悼登山「塩谷丸山」・・・東日本大震災の日
この日の予定は、余市の「大黒山」を目指していましたが、現地の吹雪で登山口が探せず撤退。
帰路の途中に塩谷丸山に変更して登りました。
この時、2度目の追悼登山にしようという事になり地図も持たずに決行しました。

大震災のニュースは、何も知らずまま下山して道中車のラジオから始めて知りました。
山中ではまったく地震に気が付かず楽しい山行をしていましたが、まさかの事態に
忘れられない山行となりました。



チーヤン、父、私・・・


下山する一行・・・

※ 考えて見るとこれ以降オヤジの追悼登山はしていません。
   もう10年が過ぎたのに供養を忘れたバカ息子です。
   雪が解けたら孫たちを連れて安平山に登り、「曾爺ちゃんも山登りが好きだったんだよ」
   と、孫たちに教えますね・・・。