かつては大伽藍を誇ったという飛鳥寺も現在では本堂(中金堂)と観音堂と鐘楼だけの敷地も狭い「安居院」という
名のお寺になっています。真言宗豊山派のお寺です。山門前には江戸中期の寛政4年(1792)に造られた
「飛鳥大佛」の道標が創建当初の礎石の上に乗って置いてあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/b1/48aa994d10e4d0ebd6f8b0fd3a65b1c8.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/15/03349e6c84569521a28a248abe2a2fd4.jpg)
本堂(中金堂)の本尊は釈迦如来でこの像は日本で最初に造られた仏像です。僕が始めてこの本尊を拝観したのは
もう6年前ほどになりますが、衝撃をうけました。その痛々しいお姿に。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/9e/ec60fae432f311b051e934356e1d76dc.jpg)
体もお顔も疵というか修復の跡がはっきりわかります。聞くと建久7年(1196)の火災で像の大部分が
破損して元からあった部分は目のまわり・左耳・右手の第2・3・4指のみだということです。
飛鳥大仏・・・『日本書紀』によれば推古天皇14年(606)で止利仏師によって造られました。日本国内で
造られた仏像としては最古になります。最古の仏像ですが、その像の大部分が後世による修補なので
国宝ではなく重文指定に留まっています。しかし、それは仏像を文化財としてみた評価であって、仏尊としての
尊格の評価ではありません。
6年前に初めて拝観した時に、その痛々しいお姿に最初は驚きはしましたが、次第に心安らぐ思いに変わりました。
表情は止利仏師による飛鳥仏特有のアルカイックスマイルで右手は上げて手のひらを見せる施無畏印、これが
まるで「よう来たのう、まあゆっくりしていってや!」って語りかけられているように感じました。
建久7年の火災によって体の大部分は失われ、また像を安置するお堂もなく江戸後期の再建までの約600年間
ほどは、ほとんで吹きさらしの状態でぽつんと置かれていたそうです。しかし造立から1400年、その座する地は
変わっていなくて同じ場所にずっとおられたということです。あの杏仁形の大きな眼で同じ場所から
1400年の歴史をずっと見てこられたのです。そう思うと鳥肌たつほどの感動を覚えました。
この釈迦如来像は写真撮影ができます。堂内の本尊の写真撮影が許可されているというのはかなり珍しいです。
勤行した後に遠慮なく上掲の写真を撮らせていただきました。
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名のお寺になっています。真言宗豊山派のお寺です。山門前には江戸中期の寛政4年(1792)に造られた
「飛鳥大佛」の道標が創建当初の礎石の上に乗って置いてあります。
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本堂(中金堂)の本尊は釈迦如来でこの像は日本で最初に造られた仏像です。僕が始めてこの本尊を拝観したのは
もう6年前ほどになりますが、衝撃をうけました。その痛々しいお姿に。
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体もお顔も疵というか修復の跡がはっきりわかります。聞くと建久7年(1196)の火災で像の大部分が
破損して元からあった部分は目のまわり・左耳・右手の第2・3・4指のみだということです。
飛鳥大仏・・・『日本書紀』によれば推古天皇14年(606)で止利仏師によって造られました。日本国内で
造られた仏像としては最古になります。最古の仏像ですが、その像の大部分が後世による修補なので
国宝ではなく重文指定に留まっています。しかし、それは仏像を文化財としてみた評価であって、仏尊としての
尊格の評価ではありません。
6年前に初めて拝観した時に、その痛々しいお姿に最初は驚きはしましたが、次第に心安らぐ思いに変わりました。
表情は止利仏師による飛鳥仏特有のアルカイックスマイルで右手は上げて手のひらを見せる施無畏印、これが
まるで「よう来たのう、まあゆっくりしていってや!」って語りかけられているように感じました。
建久7年の火災によって体の大部分は失われ、また像を安置するお堂もなく江戸後期の再建までの約600年間
ほどは、ほとんで吹きさらしの状態でぽつんと置かれていたそうです。しかし造立から1400年、その座する地は
変わっていなくて同じ場所にずっとおられたということです。あの杏仁形の大きな眼で同じ場所から
1400年の歴史をずっと見てこられたのです。そう思うと鳥肌たつほどの感動を覚えました。
この釈迦如来像は写真撮影ができます。堂内の本尊の写真撮影が許可されているというのはかなり珍しいです。
勤行した後に遠慮なく上掲の写真を撮らせていただきました。
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