仁和寺の創建は平安初期に遡りますが、応仁の乱などで諸堂はすべて焼失して現在残る建物は
すべて江戸初期に江戸幕府による援助で建てられたものです。そのほとんどが重要文化財の指定を受けています。
金堂のやや奥にある「経堂」。重文。禅宗様の経堂で一切経が納経されているそうです。
さらにその奥に鎮座する「九所明神」。仁和寺の守護神として賀茂社をはじめ9つの神々を勧請。重文。
朱塗りで袴腰造りの「鐘楼」。重文。窓がない?ですね。
禅宗様式の「観音堂」。ご本尊は千手千眼観音で脇侍に愛染明王と降三世明王。眷属の二十八部衆も
祀られているということですが、閉扉されていて中の様子を覗うことはできません。重文。
近畿36不動霊場の札所である「水掛不動」。不動明王は菅原道真が左遷で大宰府に下向する前に
宇多法皇に挨拶に赴いた際に腰掛けたと言われる「菅公腰掛石」の上に立っておられます。
五重塔遠景。重文。ニ王門と同じく逓減率(上層ほど屋根が小さくなる)が低く、各層の屋根の大きさに
さほどの差がないので大きく見えます。
さて、以上で伽藍内の諸堂塔の紹介を終わりますが、だいたいじっくり拝観するのに小一時間ほどかかるでしょうか。
朝とはいえ盛夏の晴天、汗だくだくになるところでしたが、そうなる前に午前9時に開門の御殿に入り、見事な庭園に
身も?心も癒されることになりますが、それは次回に。
「黒駒思いのままの記」←こちらも見てやってください。
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すべて江戸初期に江戸幕府による援助で建てられたものです。そのほとんどが重要文化財の指定を受けています。
金堂のやや奥にある「経堂」。重文。禅宗様の経堂で一切経が納経されているそうです。
さらにその奥に鎮座する「九所明神」。仁和寺の守護神として賀茂社をはじめ9つの神々を勧請。重文。
朱塗りで袴腰造りの「鐘楼」。重文。窓がない?ですね。
禅宗様式の「観音堂」。ご本尊は千手千眼観音で脇侍に愛染明王と降三世明王。眷属の二十八部衆も
祀られているということですが、閉扉されていて中の様子を覗うことはできません。重文。
近畿36不動霊場の札所である「水掛不動」。不動明王は菅原道真が左遷で大宰府に下向する前に
宇多法皇に挨拶に赴いた際に腰掛けたと言われる「菅公腰掛石」の上に立っておられます。
五重塔遠景。重文。ニ王門と同じく逓減率(上層ほど屋根が小さくなる)が低く、各層の屋根の大きさに
さほどの差がないので大きく見えます。
さて、以上で伽藍内の諸堂塔の紹介を終わりますが、だいたいじっくり拝観するのに小一時間ほどかかるでしょうか。
朝とはいえ盛夏の晴天、汗だくだくになるところでしたが、そうなる前に午前9時に開門の御殿に入り、見事な庭園に
身も?心も癒されることになりますが、それは次回に。
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