(まだまだしぶとい) チラシの裏日記

鉄道写真中心に、撮影行記やその思い出話、音楽鑑賞記などを

ナフセ下りだよ!The

2018年04月08日 | 棲息地は】武蔵野ストラット【多摩川
 甲種?あったみたいですね・・・撮ってないですが

★あんたがた、タワマン♪
 3076レ EF66 27 (国) 0658上 ・コキ4-、6-、7-、×19車 ▽ECO-LINER 31、UM12A
  78レ EF65 2139 (国) 0740上 ・コキ4-、6-、7-、×20車

★南武線下ればいつも通りで
 3083レ EH500- 33 (定) 0920下 ・コキ4-、6-、7-、×20車 ●35分オクレ
 2099レ EF66 113 (S2) 0931下 ・コキ4-、6-、7-、×18車 ○珍しくダイヤ通り
 4093レ EF210-122 (鶴) 1051下 ・コキ4-、6-、7-、×18車 JOT 22G1、JR 49A
  72レ EH500- 39 (定) 1153上 ・コキ4-、6-、7-、×20車
 2092レ EH200- 5    1203上 ・コキ20-、×3+6-、7-、×20車
 3064レ EH500- 2 (定) 1214上 ・コキ4-、6-、7-、×21車
 2079レ EH500- 38 (定) 1233上 ・コキ4-、6-、7-、×25車

尻手短絡線を3076レを牽いて上るEF66 27

 地元の人に甲種は任せるとして、俺は鶴見川の手前でカクッと。
 尻手短絡線の貨レは初めて。まぁ事前情報として、季刊時代のウヤ情の貨レ特集で、「単線」だとうろ覚えながら聞いていたのを、実際見て納得した次第。
 構内は4番と5番の二線使ってて川崎新町程じゃないがややこしい。2099レと73レが本線側の4番線を使って通過して、EH200牽引の2083レが一番外側の5番線に一回停まってから、それぞれ新鶴見(信)へ下る。で、目当ての3076レと78レの上りが下り前者2本と同じ4番線を走って東京タ方向に上っている。ただ、5番線を2083レみたいに使って通るなら上りでもやりそうな悪寒(その辺は後程研究)。いやはやここで川崎の貨物線らしい所をみるとは思わなかった(ゾクゾクしながら)。
 終わってから南武線で府中本町まで下って、西国分寺で武蔵野線巡回。
 今日のEH500貨物はみな東京タ方向に1エンドを向けて運転。PF牽引の筈の72レにまさかの代走が出て4本撮れた。

チラリと見ゆるISOコンこそは
72レの証しなり
1153時、何とビックリ
EH500-39が代走にて通過

しかし-2なんて何時以来だろう・・・何だか10ン年振りに見た気がする(実際には3年前に2079レで撮っていたw)。最後に見た時は既に「黒EH500」になってたが、出足がそっちに向かなくなってからは機会がなくて、まぁ下り電車に被られなくてよかった。
 最後はEF66 120の4093レ代走で〆る予定だったが、上り電車に被られて見るだけで終了。追っかけて編成が短くなった所の同レを西浦和で撮ろうかとも思ったけれど、体がウチに帰りたいと言って聞かないので素直に北朝霞で下車、朝霞台で東上線に乗り換えて帰宅。

:昭和60年冬号。この号には翌年11月改正前まで存在していた貨物線とその短絡線の配置図が見開きで載っている。因みに尻手短絡線は当時、奥多摩まで運転されていた石灰石輸送列車の通り道で、他の大方の武蔵野線~新鶴見(信)経由で浜川崎、塩浜操(後の川崎貨物)を結ぶ列車は鶴見駅まで行って、そこで機回しの上方転して運転されていた。


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