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(まだまだしぶとい) チラシの裏日記

鉄道写真中心に、撮影行記やその思い出話、音楽鑑賞記などを

恐らくは誰も撮ってない、かも知れない

2020年05月06日 | ▲EF62・EF64▲遥かなる山の呼び声▲甲信越・中央東線▲
 信越「山線」を走ってた繁忙期運転の臨時貨物列車に、8380レというのがあった。沼垂から直江津、篠ノ井を経て坂城に至る石油列車で、山線を午前中のいい時間帯に走るので冬場はいつもシュプール号とセットで撮っていた。
 だが、折からの石油業界の再編成の煽りを受けた格好で、沼垂のENEOS(旧日石系)新潟油槽所と共に1998年9月一杯を以て、8380レ(下り:8381レ)の運転も取り止めになることになった。報せを聞いた俺は運転予定日を教えてもらい、勤務が休みの日に合わせて急行「能登」や高田行きの夜行バスで山線に出掛けた。
 お盆が明けて暫く経った9月2日。まだ残暑厳しい時期だがラストランへのカウントダウンは始まっていた。前年の運転の傾向からこの時期は編成が長いと読んで、防風林バックでお馴染みのポイントに立つ。
 午前8時も大分過ぎた頃、EF64 50(前)+22(次ソ)に牽かれて8380レが所定ダイヤ通りに現れた。果たして現車両数を数えると19両。長い!

50+22で牽引定数一杯のタキ車編成を牽く

 モードラをぶん回した後で顔を上げて見送ると、足元から物凄い地響きが伝わってくる。こんな25‰の長い急な坂を、1000㌧以上の重い編成を牽いて上るロクヨンの運用があるのだ。尤も路盤状態があまり良くないというのもあるが、それでもこの蒸し暑い時にあんな長編成のタンカートレインなんて走ってないと思うのが普通だ。
 当時でもオリジナルの0台重連が牽く山線の貨物を撮る物好きは俺ぐらいしか居なかったように思う。昨今愛知区のロクヨン1000番台の重連が牽く西線のタンカートレインが注目を集めているが、憚りながら俺はあんまり興味がない。何せあの時の感動を味わったあとではもう・・・

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