(まだまだしぶとい) チラシの裏日記

鉄道写真中心に、撮影行記やその思い出話、音楽鑑賞記などを

シュプール号末期の1031

2024年09月29日 | ▲EF62・EF64▲遥かなる山の呼び声▲甲信越・中央東線▲
 1シーズンだけ重連シュプールの運転に絡んできた1031だが、94年年末には全検入場も兼ねて電車とも連結運転が出来るよう連結器とブレーキ管周りの改造が行われたお陰で、シュプール運用から離れてしまった。
 しかし”重連”運用には就かなかったものの、シュプール運用と縁がなかった訳ではなく、長野五輪翌年の99年1月にはレガートシートが編成中に入った「シュプール妙高・志賀」を牽いて長野までやってきた。(なお以降は「トワイライトエクスプレス」用24系25形を使った「シュプールトワイライト妙高・志賀」に変更)・・・この辺は後ほど
 さらに客車シュプール運転が終わった後の00年冬には、ワザワザ下関から運転されてきた14系15形(一部14形もあり)の団臨も牽いて長野までやってきた。

15形中心のハネ・ハネフ✕6編成の回送を牽く1031
白い取説書きのステッカーは1030と1031の特徴。(豊野〜牟礼間にて:17.02.00)

 この団臨は重連シュプールが運転されていた頃から毎シーズン(1〜3月)数回運転される”企画臨”みたいな列車だった。牽引機も長岡の1000代の他、機が足りなくなると篠ノ井区の0代まで充てられるなど信越山線のお楽しみみたいな存在で、基本長野を夕方に出て、豊野や牟礼や黒姫の中線で長時間停車を繰り返したあと、「始発駅」の妙高高原駅で団体を乗せて冬場でまだ暗い夕方18時前に出発していた。
 そのため待避可能な駅ではよく10人位の同業者が集まってバルブ大会になっていた。俺なんかはその時間、”下道”でイビキかきながら東京戻ってるのであまり参加することがなかったが、1回妙高高原で参加したら知らない顔ばかりで、かなり殺伐とした雰囲気の中ひとつも撮れずに駅を離れた記憶がある。
 さてこの時は昼日高の昼間にその回送が運転されるとあって、好きな同業者が集まって撮っていた。豊野を出て黒姫に行くともう長時間停車中で、俺もその停車中の所を撮ってから二本木方向に下っていた。この後もう1本、カヌ座8連の団臨があってそれを撮りに行ったのだが、その辺はまた後日。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿