(まだまだしぶとい) チラシの裏日記

鉄道写真中心に、撮影行記やその思い出話、音楽鑑賞記などを

真夜中の南部牛追い男について考えた

2011年07月24日 | ぎゃらりぃ「チラ裏」
昨夜の大宮。
庄内での撮影で草臥れた体を引きずって
ショウシン(湘南新宿ライン)廻りで帰るべく6番線に下りる。
ホームには211系15両が到着してたが、これは上野行き。
俺の乗るのはこの1つ後。
すると、まだ上野行き普通電車がぐずってる時に
向こうの4番線から貨物列車の接近を告げる
構内アナウンスが聞こえてきた。
何?どの宇都宮タ発のスジだよ…と思ったらキンタ。
EH500牽引の、札幌タからの列車だ。
見ればずらりと並ぶゴトコン(5㌧コンテナ)の中に
昔、夜勤の度に中を覗かせてもらった緑一色のUV50Aや
同51Aのぬこ柄のヤツが載っている。
後ろにはU54Aが2個。
即座に列番が思い浮かんだ。…3062レ!
前日青森は小柳で触車事故をやらかした列車だ。
その時刻が正午ちょいすぎだったから
今(2220時)から逆算すると10時間ちょっとで
あの800㌧以上もある編成を牽いて
青森から大宮まで駆け抜けたことになる。
「嘘だろ…」コレは正直驚いた。
牽引機を足したり引いたり交替したりしていた
3060レを名乗ってた10年前と比べて
またエラク速くなったもんだ。

ここまでこの列車が速くなったのには
取り分け東北新幹線が盛岡から八戸
そして新青森と延伸したことで
485系や583系等で運転されてきた特急電車がなくなり
それらを待避して時間をかける必要が無くなったのが一番大きい。
もちろん、黒磯~盛岡間での幾度にわたったダイヤ調整や
交流電化区間でのナナゴ、ED75から交流・直流両方走れる
EH500"金太郎"への主役交代が進んだのも大きい。
けれど実の所、東北線のフレートライナーの最高「運転」速度は
未だに95km/h(最高100km/h、は850㌧牽引まで)のままな筈。
貨物時刻表でみると八戸貨物~東青森間での60分運転が
未だに一番速いのがそれを物語っている。
これはED75重連が主役だった国鉄時代に設定されたもの。
この10年間に何もなかった訳じゃなかったが
その間に、前を遮るものが無くなったことが
どれだけ速さに返ってきてるかが解る。

↓友情出演(参考画像ともいう):EH500-3牽引の95レ

それにしても昼日中に青森を出て首都圏に着くのが深夜とか
キンタの通し運転になってからもう御苦労さまだろうに。
有名どころなら隅田川発着の3051レとか3056レとか
あるいは新鶴見に抜ける3087レとか、3086レとか
他にもいわゆる「通し運転」のスジは何本かあるけれども
大宮4番にノソノソと3062レを牽いてやってきたEH500-29は
どことなくくたびれているようにみえた。
それでも信号が開けばそうも言ってられないのか
途中で「ダダァァァアン」と、大音量のジョイント音を響かせて
加速しながら走り抜けていった。
おそらくまた今夜は青森への旅路に就いてる頃…
仕業線表のサンカクのあるところまではまだまだ遠い。

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2 コメント

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Unknown (ろびーくん)
2011-07-25 14:00:17
いな~か~なれども~~~~  ですか

常磐なんかも待避、待避で結局それが一番時間かかってますよね。
後藤さんが突っ走って頑張ってますけど。
でも貨物の通し運転は、考えてみるとよくこれだけ酷使するなっていうレベルですね。
旅客じゃありえない。
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Unknown (ぃょう@某家頁管理人)
2011-07-25 14:18:11
> 同志・(ry

いや、ゴーゴー!ナイアガラ!です。
歌ってる人は伊達藩領民ですが。

その昔は逆に常磐線を特急貨物が走ってましたけど
当時は東北本線より常磐線の方が複線化が進んでて
それで、そっちを走ってたんだとか。
SLの「はつかり」も同じ理由でそっちを走ってたんですが
東北線が全線複線化したときに…

まあでも手間と待ち合わせで時間食ってたのを解消した分速くなった
スジが縦になったのは当然の成り行きですが
次はキンタになった分、どれだけ余力があるのか見せる番、でしょうか。
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