まぁ普段は仕事終わったらウチに帰って寝るのが基本だけど、元気があった頃は泊まり明けとかの合間を縫っては撮りに行ったりした。
↓90+1031の4085レ (09.08.'05 高久~黒田原間にて)
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線表通りに"流れてる"と知っての「だっぱら→定点」撮影行だった。何せ、下り4085レ前機には"土崎赤"の90が、上り4086レの前機には再度引退間近の"奇跡※の原色機"109が、それぞれ充当されるというのだから逝かなくちゃいけない。兎に角明け勤務が終わった後、すぐ「なすの」で那須塩原まで急行して、そこから211系の普電と「走ルンです」701系を乗り継いで黒田原まで向かった。
通過まで時間もない中、息急ききってお気に入りの場所に駆け込んで機材を拡げて待てば、さっき黒磯の北部機留線にいた2両が牽く4085レが。編成までは見てないので、ECO-LINER 31は1個ぐらい載ってたら御の字だったのに、お盆前のせいかは知らないが幸運にもそれが2個載っていた。ED75が牽くライナーで31ft.が載るスジは少なくなってたから、正直「凄い!」と思ったのは言うまでもない。
他は色々アーカイヴに残したのを見ながら振り返ってるが、あの茹だるような夏の日差しの下、余笹川を越えて10パーミル昇り勾配を現車20両を牽いて駆けてくるED75重連の轟音が、今でも原版を見る度にはっきりと甦ってくる。
※:109は前年の2004年前半に余剰のため141(6月下旬)、1029(5月末)同様に一休車が掛けられ、その夏に八戸貨物に解体のための疎開までされたが、10月の中越地震の迂回輸送のための要員が不足したことを受けて、12月に急遽現役に復活していた。
↓90+1031の4085レ (09.08.'05 高久~黒田原間にて)
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線表通りに"流れてる"と知っての「だっぱら→定点」撮影行だった。何せ、下り4085レ前機には"土崎赤"の90が、上り4086レの前機には再度引退間近の"奇跡※の原色機"109が、それぞれ充当されるというのだから逝かなくちゃいけない。兎に角明け勤務が終わった後、すぐ「なすの」で那須塩原まで急行して、そこから211系の普電と「走ルンです」701系を乗り継いで黒田原まで向かった。
通過まで時間もない中、息急ききってお気に入りの場所に駆け込んで機材を拡げて待てば、さっき黒磯の北部機留線にいた2両が牽く4085レが。編成までは見てないので、ECO-LINER 31は1個ぐらい載ってたら御の字だったのに、お盆前のせいかは知らないが幸運にもそれが2個載っていた。ED75が牽くライナーで31ft.が載るスジは少なくなってたから、正直「凄い!」と思ったのは言うまでもない。
他は色々アーカイヴに残したのを見ながら振り返ってるが、あの茹だるような夏の日差しの下、余笹川を越えて10パーミル昇り勾配を現車20両を牽いて駆けてくるED75重連の轟音が、今でも原版を見る度にはっきりと甦ってくる。
※:109は前年の2004年前半に余剰のため141(6月下旬)、1029(5月末)同様に一休車が掛けられ、その夏に八戸貨物に解体のための疎開までされたが、10月の中越地震の迂回輸送のための要員が不足したことを受けて、12月に急遽現役に復活していた。
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