遠くへいきたい(尺八のメロディにのせて)…
森繁久彌のガイドライン 1700歳 [転載禁止]©2ch.net
ttp://potato.2ch.net/test/read.cgi/gline/1442899423/与利
862 名前:水先案名無い人[sage] 投稿日:2016/07/11(月) 17:23:23.94 ID:8sins8ks0
永六輔さん死去 黒柳徹子さん「最後の一撃のよう」
7月11日 17時15分
永六輔さんが、今月7日に亡くなりました。
永さんと60年以上にわたってテレビやラジオで一緒に仕事をしてきた黒柳徹子さんは、
11日コメントを出し、「最後の一撃のようだ」と永さんの死を悼みました。
この中で黒柳さんは、60年以上に及ぶつきあいで1回もけんかをしなかったとしたうえで、
永さんが日本中を旅していたことについて、「自分で見たり聞いたりしたことを、全国まわって、ラジオで伝えたかったからです。
テレビより、最後までラジオが好きでした」と思いを代弁しました。
そのうえで、亡くなる3日前と4日前にお見舞いに行ったときの様子について、
「話しはできなかったけど、私が『永さん!』というと、必ず、目を開けて私を見て、声を出して笑いました」と振り返りました。
そして、「このごろ、お友達が亡くなって、本当に、最後の一撃のような、永さんの死です。でも、生きているもののつとめとして、
当分、仕事、つづけます。永さん、永いこといいお友達でいてくださって、ありがとう。
アフリカなんかで『上を向いて歩こう』と聞くと、きっと、空を向いて涙がこぼれないようにすると思う」とつづっています。
とても温かい方 瀬戸内寂聴さん
永六輔さんと半世紀近くにわたって親交があった作家の瀬戸内寂聴さんは、「きのう、ご家族から連絡を受けて知りましたが、
とてもびっくりしました。私より11も若いので、まだまだお元気でいらっしゃると思っていただけに、とても残念です」と突然の死を悼みました。
永さんが3年前、家族とともに京都の瀬戸内さんの自宅に遊びに来たときの様子が印象に残っているということで、
「車いすに乗っていましたが、とても元気な様子で私の法話にも飛び入り参加してくれました。話もとても達者にされていて
参加された方々もとても喜んでくださり皆さん、大笑いでした。おととし東京で会ったのが最後になりましたが、
『お互い元気でいようね』と声を掛け合いました」と振り返りました。
そのうえで、「人間としてとても温かい方でした。ファンの方々にも優しく、一人一人に握手をしていたのを覚えています。
私とは年が離れていますが、物事に対する考え方が同じで互いに信頼しあっていました。作家としてもタレントとしても、
とても才能のある人だったので本当に惜しい人を亡くしました」と話していました。
続きは↓
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160711/k10010591221000.html
お寺の息子で、仏様(南無阿弥陀仏)を輔ける、そんな人になってくれという願いを込めたのが「六輔」という、のは過去ログにも。因みに、山に登って滑落遭難したら確実に「オロク」。言っちゃいけない。
パーキンソン、だった訳でしょ?で「治った」宣言出したら、医者のセンセに「それはない」って釘刺されたのが5年前ぐらいの今ごろか。確かに滑舌が戻ってた時もあったけど、小沢昭一さんが亡くなった前後ぐらいから、次第に。消え入るように。
徹子さんはショックだったろうな、戦友としてこんな訃報聞かされると。
合掌
追伸:あと、安楽死とか言いながらICU生活してる巨泉はさっさとくたばれ。
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862 名前:水先案名無い人[sage] 投稿日:2016/07/11(月) 17:23:23.94 ID:8sins8ks0
永六輔さん死去 黒柳徹子さん「最後の一撃のよう」
7月11日 17時15分
永六輔さんが、今月7日に亡くなりました。
永さんと60年以上にわたってテレビやラジオで一緒に仕事をしてきた黒柳徹子さんは、
11日コメントを出し、「最後の一撃のようだ」と永さんの死を悼みました。
この中で黒柳さんは、60年以上に及ぶつきあいで1回もけんかをしなかったとしたうえで、
永さんが日本中を旅していたことについて、「自分で見たり聞いたりしたことを、全国まわって、ラジオで伝えたかったからです。
テレビより、最後までラジオが好きでした」と思いを代弁しました。
そのうえで、亡くなる3日前と4日前にお見舞いに行ったときの様子について、
「話しはできなかったけど、私が『永さん!』というと、必ず、目を開けて私を見て、声を出して笑いました」と振り返りました。
そして、「このごろ、お友達が亡くなって、本当に、最後の一撃のような、永さんの死です。でも、生きているもののつとめとして、
当分、仕事、つづけます。永さん、永いこといいお友達でいてくださって、ありがとう。
アフリカなんかで『上を向いて歩こう』と聞くと、きっと、空を向いて涙がこぼれないようにすると思う」とつづっています。
とても温かい方 瀬戸内寂聴さん
永六輔さんと半世紀近くにわたって親交があった作家の瀬戸内寂聴さんは、「きのう、ご家族から連絡を受けて知りましたが、
とてもびっくりしました。私より11も若いので、まだまだお元気でいらっしゃると思っていただけに、とても残念です」と突然の死を悼みました。
永さんが3年前、家族とともに京都の瀬戸内さんの自宅に遊びに来たときの様子が印象に残っているということで、
「車いすに乗っていましたが、とても元気な様子で私の法話にも飛び入り参加してくれました。話もとても達者にされていて
参加された方々もとても喜んでくださり皆さん、大笑いでした。おととし東京で会ったのが最後になりましたが、
『お互い元気でいようね』と声を掛け合いました」と振り返りました。
そのうえで、「人間としてとても温かい方でした。ファンの方々にも優しく、一人一人に握手をしていたのを覚えています。
私とは年が離れていますが、物事に対する考え方が同じで互いに信頼しあっていました。作家としてもタレントとしても、
とても才能のある人だったので本当に惜しい人を亡くしました」と話していました。
続きは↓
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160711/k10010591221000.html
お寺の息子で、仏様(南無阿弥陀仏)を輔ける、そんな人になってくれという願いを込めたのが「六輔」という、のは過去ログにも。因みに、山に登って滑落遭難したら確実に「オロク」。言っちゃいけない。
パーキンソン、だった訳でしょ?で「治った」宣言出したら、医者のセンセに「それはない」って釘刺されたのが5年前ぐらいの今ごろか。確かに滑舌が戻ってた時もあったけど、小沢昭一さんが亡くなった前後ぐらいから、次第に。消え入るように。
徹子さんはショックだったろうな、戦友としてこんな訃報聞かされると。
合掌
追伸:あと、安楽死とか言いながらICU生活してる巨泉はさっさとくたばれ。
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