この作品を撮ってからつとに思い出すのは
ガキの頃に訪れた庄内浜の思い出。
![](https://red.ap.teacup.com/dampflok_ed75/timg/middle_1277787036.jpg)
夏の日本海側は海水浴場だらけで
ちゃんとした海水浴場の他にも
「ここから◯◯海水浴場まで泳げます」
みたいな看板が海岸沿いに立ってて
無人の浜辺でも泳げたりするところがあったりした。
(今はどうか知らないが)
夏は海!みたいな人にはたまらない環境だが
そんな俺は実は「水恐怖症」で
まだ幼稚園・保育園に通えない程ガキの頃に
由良の海水浴場で浮き袋つきで泳いでて
つい調子に乗って沖目の方へバシャバシャと泳いでったら
足がつかない深いトコまで出てしまって
パニック状態になった覚えがある。
お陰ですっかりカナヅチになってしまったが
何故か海水浴に行くことだけは楽しみで
鼠ヶ関の近く、早田(わさだ)にあった季節旅館に
ウチの家族と、父の友人の家族とでクルマで出掛けた時は
泳ぐことはそっちのけで
羽越線が見られるって理由だけで喜んでいた。
あるとき列車を使って海水浴に
鼠ヶ関まで母と弟と3人で出掛けたことがあった。
行きは急行「月山1号」
帰りは同「月山6号」という日帰りの旅。
今ではあり得ないことだが、山形から陸西線廻りで
鶴岡方向に直通スジが出ていたのだ。
しかも乗るのは貴重な冷房付キハ28・58×3車。
冷房がついてた列車といえばそれまでは
昼間は485系特急「つばさ」ぐらいなものだったが
82年11月の改正で、和歌山やら美濃太田やら
先に冷房化された西の方から、お古のキハが転属してきて
この83年の夏のシーズンになってから
ようやく「月山」でも冷房が味わえるようになったのだ。
そのため車内放送でもこんな案内が聞けた。
「列車内では冷房中ですので、窓のほうはお閉め願います…」
鼠ヶ関行き「月山」は余目で酒田方面行きのキハ2M1mを切り
方向転換して羽越線を上る。
既定の停車駅の鶴岡・あつみ温泉の他
海水浴客の便を図るため、三瀬の駅にも臨時停車した。
そこから終点鼠ヶ関まではべた凪の日本海相手に
急行「月山」はいないいないばぁを繰り返す。
海は岩場ばかりだが、「いいとも」見ていて覚えた
こんな歌が脳内で響いた。
「岬めぐりの バスは走る
窓に広がる 青い海よ…」
到着は昼前だったように思う。
折り返しまでの間、鼠ヶ関の海水浴場で泳いで帰る寸法。
弟が退屈してしまって、早めに駅まで戻ってきたが
それでも「月山6号」発車まで1時間以上ある。
それどころか当の「~6号」用のキハは
駅構内の電留線でまだ昼寝の最中。
フィルムが結構余ってたので、母が俺に
「なんか撮ってもいいよ」とバカチョンカメラを貸してくれた。
それで撮ったのはEF81 68のコンテナ貨物と後何か。
パーイチ牽引の客レだったかもしれない。
それから二十数年。
臨時停車した三瀬の駅は駅舎建て替えの上無人化され
キハ28・58が昼寝していた鼠ヶ関の電留線も更地にされてしまった。
早田の旧線跡地のなぞのトンネルも最近消えてしまったようだ。
それでもこのベタ凪の、夏の日本海は相変わらず。
多分今年は暑くなるだろうから、海水浴場は賑わうかもしれない。
でも急行「月山」がなくなって
線路が新庄である意味分断された今もなお
内陸から列車乗り継いで、ここ庄内浜まで泳ぎにやってくる
そんな奇特な家族はいるのだろうか?
4075レを撮った後、小岩川から乗った
冷房がついたキハ40から海を眺めながら、ふと思った。
ガキの頃に訪れた庄内浜の思い出。
![](https://red.ap.teacup.com/dampflok_ed75/timg/middle_1277787036.jpg)
夏の日本海側は海水浴場だらけで
ちゃんとした海水浴場の他にも
「ここから◯◯海水浴場まで泳げます」
みたいな看板が海岸沿いに立ってて
無人の浜辺でも泳げたりするところがあったりした。
(今はどうか知らないが)
夏は海!みたいな人にはたまらない環境だが
そんな俺は実は「水恐怖症」で
まだ幼稚園・保育園に通えない程ガキの頃に
由良の海水浴場で浮き袋つきで泳いでて
つい調子に乗って沖目の方へバシャバシャと泳いでったら
足がつかない深いトコまで出てしまって
パニック状態になった覚えがある。
お陰ですっかりカナヅチになってしまったが
何故か海水浴に行くことだけは楽しみで
鼠ヶ関の近く、早田(わさだ)にあった季節旅館に
ウチの家族と、父の友人の家族とでクルマで出掛けた時は
泳ぐことはそっちのけで
羽越線が見られるって理由だけで喜んでいた。
あるとき列車を使って海水浴に
鼠ヶ関まで母と弟と3人で出掛けたことがあった。
行きは急行「月山1号」
帰りは同「月山6号」という日帰りの旅。
今ではあり得ないことだが、山形から陸西線廻りで
鶴岡方向に直通スジが出ていたのだ。
しかも乗るのは貴重な冷房付キハ28・58×3車。
冷房がついてた列車といえばそれまでは
昼間は485系特急「つばさ」ぐらいなものだったが
82年11月の改正で、和歌山やら美濃太田やら
先に冷房化された西の方から、お古のキハが転属してきて
この83年の夏のシーズンになってから
ようやく「月山」でも冷房が味わえるようになったのだ。
そのため車内放送でもこんな案内が聞けた。
「列車内では冷房中ですので、窓のほうはお閉め願います…」
鼠ヶ関行き「月山」は余目で酒田方面行きのキハ2M1mを切り
方向転換して羽越線を上る。
既定の停車駅の鶴岡・あつみ温泉の他
海水浴客の便を図るため、三瀬の駅にも臨時停車した。
そこから終点鼠ヶ関まではべた凪の日本海相手に
急行「月山」はいないいないばぁを繰り返す。
海は岩場ばかりだが、「いいとも」見ていて覚えた
こんな歌が脳内で響いた。
窓に広がる 青い海よ…」
到着は昼前だったように思う。
折り返しまでの間、鼠ヶ関の海水浴場で泳いで帰る寸法。
弟が退屈してしまって、早めに駅まで戻ってきたが
それでも「月山6号」発車まで1時間以上ある。
それどころか当の「~6号」用のキハは
駅構内の電留線でまだ昼寝の最中。
フィルムが結構余ってたので、母が俺に
「なんか撮ってもいいよ」とバカチョンカメラを貸してくれた。
それで撮ったのはEF81 68のコンテナ貨物と後何か。
パーイチ牽引の客レだったかもしれない。
それから二十数年。
臨時停車した三瀬の駅は駅舎建て替えの上無人化され
キハ28・58が昼寝していた鼠ヶ関の電留線も更地にされてしまった。
早田の旧線跡地のなぞのトンネルも最近消えてしまったようだ。
それでもこのベタ凪の、夏の日本海は相変わらず。
多分今年は暑くなるだろうから、海水浴場は賑わうかもしれない。
でも急行「月山」がなくなって
線路が新庄である意味分断された今もなお
内陸から列車乗り継いで、ここ庄内浜まで泳ぎにやってくる
そんな奇特な家族はいるのだろうか?
4075レを撮った後、小岩川から乗った
冷房がついたキハ40から海を眺めながら、ふと思った。
この旅終えて街に帰ろう
何か基本的に物悲しいねぇ
早速のコメ感謝。
でもまぁそういう思い出もあったしね。