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(まだまだしぶとい) チラシの裏日記

鉄道写真中心に、撮影行記やその思い出話、音楽鑑賞記などを

嘗ては会社毎に・・・

2021年01月14日 | ▲EF62・EF64▲遥かなる山の呼び声▲甲信越・中央東線▲
 今はセメント輸送も三岐鉄道の大平洋セメント(旧小野田セメント)からのを残すだけになったが、20年ぐらい前まではこの他に住友セメント、日本セメント、日立セメント、チチブセメント(現・大平洋セメント)、デンカセメント、明星セメント、更にその5年以上前には三菱マテリアル、そのまた5年、つまり今から30年位前には東北開発セメントと住友と合併前の大阪セメントが、各々でタキ1900等のセメントタンク車を保有してた他、セメントターミナル(CT)という国鉄=JRの三セク会社もタキ1900を保有して貨車輸送をやっていた。
 しかしこれらセメントタンク車の仕様は保有先ごとに全く異なっていて、同じ形式(タキ11500)でも三菱マテリアルと住友セメントではタンク体が全く違うということすらあった。尤も、トルピード型のタンク体を持つセメントタンク車は、俺が見た限りでも三菱マテリアルのだけだったが、他に採用してたら見に行く必要があったやも知れぬ。(DD51に牽かせて「(# `Д) <南橋本!」とか、模型でやる奴いるんだろうか)
 北陸新幹線(通称で「長野行き」新幹線の頃)の工事たけなわの頃には4往復を数えた山線のセメント列車も、98年10月改正で半分の2往復に減らされていた。だが南松本、篠ノ井、西上田、北長野と、量は減っても扱いを継続する駅が残っており、結果として設定上では2往復とも複数の会社のセメントタンク車で組成されることになった。
 ただ、会社によってスケジュールがバラバラなため、実際に撮影に行くと「デンカだけ」で走る5374レや「住セ」”4両だけ”の5373レといった「単独編成」の例が多く、下手すれば「タンキ」「運休」で泣いて帰ることもあった。
 写真は使い回しだが、運良く”設定通り”に運転された西上田発青海行き5373レ。西上田から住友大阪セメントのタキ1900が4両で出て、篠ノ井で明星セのタキ1900を連結、更に北長野でデンカのタキ車を連結して県境を越えていく訳だが、デンカはタキ1900やら12200やら複数の形式が在籍していて、出荷量の調節に帯金を巻いた荷重30㌧の老兵タキ7300も多く運用していた。あの当時でタキ7300を現役で使ってたのは青海のデンカだけではなかったろうか。

5373レ (松崎にて:03.03.'00)

 因みに、前から3両がデンカ、その後が住友大阪セメント、最後尾8両が明星。2000年3月3日の撮影である。

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