(まだまだしぶとい) チラシの裏日記

鉄道写真中心に、撮影行記やその思い出話、音楽鑑賞記などを

呼ばれた気がしてならない

2012年05月28日 | 管理人のきまぐれ日報
…訳だが。

別段、加持祈祷をお願いした訳でもないのに
それらが何か見えざる手に導かれるようにみえて
今も時々「出来すぎ」じゃないか?と思うことがある。
旧一輸送が旧二輸送を吸収して今の一輸送になって
その一方で、懸案だった郵袋投げの担務の
一特への移管が完了して
今までメンコ番だったOさんが泊まり番に復帰して
俺が休んでる内に支店内で色々な動きがあって。
そして更に一層強く感じさせたのは
担当課長のK氏が事故で亡くなっていたことだった。
同世代で(同郷とも聞いた)旧一輸送の担当課長だった彼は
正直あまり好きではなかった方だった。
だからといって、恨み辛みを抱くことはなかったけれど
復職してから「アレ?いないよ?」とは思った。
さては何処かに異動したか?と思っていたら
今朝、彼が死んだことを意味する張り紙を見つけた。
「バイクで…ついこないだ…」
それは勿体ないし、酷いことだ。
残された家族が可哀想じゃないか。
ああ、何てことだ。
しかしながら、俺はこうして仕事場に帰ってきた。
亡くなった彼もまた、草葉の影から呼んでたのだろうか。
何と言うか、こんな形で帰ってきて申し訳なく思った。

ED75 109って機がいた。
2004年のGW明けに第一線から離れ
夏に訓練用として青森に送られた後
用済みとなって、解体のため八戸へ送られた。
所が、何が起こるか分からない。
その年の秋の中越大地震。
上越線や信越線がズタズタになり
JR貨物は東北線や磐越西線を使って
迂回貨物を運転することになった。
しかし如何せん仙貨には余った機がない。
何せ1016は大宮にいて全検入場中だし
1031(翌年、全検入場する)などは休車中で使えない。
キンタも鋭意増備中だったが、年度内落成の機は来年回着だ。
急遽、解体前のED75に白羽の矢が立ち(※)
八戸で俎上にあった109が仙台に呼び戻されて検査を受け
また、今まで何事もなかったかの様に
すぐに一線に復帰して、走り始めた。
その後、2005年の8月まで走れるだけ走って
見事な最後を迎えたのは、追っかけた人間なら知っての通り。


誰でも109みたいに復活して最後まで活躍できる訳ではない。
条件と流れに合ったものだけが許されるアングルだ。
たまたま109の場合は、状態がよかったのと
検査期限までまだ期間が残っていたのと
条件が揃っていたから復活したが
俺の場合も似たようなもんだ。
旧三輸送でやってた経歴がなければ
今もなお床の上に臥せって泣いていた。

改めて皆に「ありがとう」と感謝の言葉を。
そして亡くなられたK氏には、哀悼の意も添えて。
さて、与えられた以上は頑張らなければ。
明日も出勤だ。

(※):他に141、1029が復活予定だったが、状態が悪く復活はならなかった。


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