…流れたような。
昨日、28~70㍉F2.8L使って南鳥海で撮ってた時のこと。
バックの天気は快晴、立ち位置はローアンと
まぁよくやるポジション。
これで定時に来りゃ「よし、もらった!」となったけど
実際には昨日の更新分にあった通り
しばらく待たされた訳。
…参ったなぁ、コレでウヤったら辛いよ…
そう思ってたら、直線の向こうに二つライトが見える。
おぉ来た来た。あれこそは4060レのヘッドライト。
あわててファインダーを覗きこんだ。
「あれ?」
何かどっかで見たような既視感を感じた。
えっと、何だっけ?どこでお会いしました?
その時はそれが何だったか分からなかった。
が、撮影を一通り済ませた後で
ウチに帰って一眠りしてから
ハタと思い出した。
「あぁ、アレは脇野田だ!」
単線でド順光でローアン。
まだEF64に熱を上げていた10年前
信越線には5374レっていうセメント専貨があり
単線の脇野田~南高田間を篠ノ井の64重連が牽いて
夕方の3時過ぎに通過していた。
ネタはないけど金と暇はある、そんなときは
長野新幹線や急行「能登」とかを使って
よく脇野田にこの列車を撮りに来た。
何せ田んぼと畑しかない直線区間だから
隣の南高田を通過するあたりから
件の列車が走ってくるのが見える。
それを今か今かと、三脚ローアンにして
近づくロクヨンのヘッドライトを睨みながら
シャッターチャンスを待っていたのだ。
その頃には長野新幹線の工事も終わり
大口のセメント需要が減ったせいか
短い編成での運転が多くなっていたが
糸魚川の明星セメントのタキ車も併結する場合もあり
その時は青海からのと合わせて14車とか16車とか
長野新幹線工事中の頃の20車フルとまではいかなくても
そこそこ長いのを撮影することが出来た。
今にして思えば、毎度毎度短い編成に泣かされても
ひどいとウヤとか単機とかだったりしても
それでも「往時の栄光が見たい!」という
たった1つの願いだけでよくも来てたものだ。
こんな話をすると周りは笑うだろう。
けれどあの頃はあの頃なりに「大真面目」だったのだ。
撮り終わって、カメラから顔を離してみる。
あの単線の向こうからやってきて
目の前を通りすぎたのは
EF81の503が牽く、コキ100・104系×20車の4060レ。

カマは単機だし、貨車は1両1両が長いし
黙っても400メートルはある長編成。
どうみてもあの頃見たセメントまみれの
タキ1900、7300、12200で組成された5374レではない。
けれど、自分はこう思う。
恐らくは、夕暮れの低い陽射しの中、
ヘッドライトを輝かせてこっちに向かってくる列車を
脚の痛くなるのも忘れ、夢中で待っていた10年前の自分が
同じ格好で4060レを待ってた自分をみて
何か思うことがあってか知らないけど
その瞬間だけここに会いにきたのではないかと。
尤も、クスリが欠かせなくなった自分を
10年前の自分がどうみていたかは知らないが。
昨日、28~70㍉F2.8L使って南鳥海で撮ってた時のこと。
バックの天気は快晴、立ち位置はローアンと
まぁよくやるポジション。
これで定時に来りゃ「よし、もらった!」となったけど
実際には昨日の更新分にあった通り
しばらく待たされた訳。
…参ったなぁ、コレでウヤったら辛いよ…
そう思ってたら、直線の向こうに二つライトが見える。
おぉ来た来た。あれこそは4060レのヘッドライト。
あわててファインダーを覗きこんだ。
「あれ?」
何かどっかで見たような既視感を感じた。
えっと、何だっけ?どこでお会いしました?
その時はそれが何だったか分からなかった。
が、撮影を一通り済ませた後で
ウチに帰って一眠りしてから
ハタと思い出した。
「あぁ、アレは脇野田だ!」
単線でド順光でローアン。
まだEF64に熱を上げていた10年前
信越線には5374レっていうセメント専貨があり
単線の脇野田~南高田間を篠ノ井の64重連が牽いて
夕方の3時過ぎに通過していた。
ネタはないけど金と暇はある、そんなときは
長野新幹線や急行「能登」とかを使って
よく脇野田にこの列車を撮りに来た。
何せ田んぼと畑しかない直線区間だから
隣の南高田を通過するあたりから
件の列車が走ってくるのが見える。
それを今か今かと、三脚ローアンにして
近づくロクヨンのヘッドライトを睨みながら
シャッターチャンスを待っていたのだ。
その頃には長野新幹線の工事も終わり
大口のセメント需要が減ったせいか
短い編成での運転が多くなっていたが
糸魚川の明星セメントのタキ車も併結する場合もあり
その時は青海からのと合わせて14車とか16車とか
長野新幹線工事中の頃の20車フルとまではいかなくても
そこそこ長いのを撮影することが出来た。
今にして思えば、毎度毎度短い編成に泣かされても
ひどいとウヤとか単機とかだったりしても
それでも「往時の栄光が見たい!」という
たった1つの願いだけでよくも来てたものだ。
こんな話をすると周りは笑うだろう。
けれどあの頃はあの頃なりに「大真面目」だったのだ。
撮り終わって、カメラから顔を離してみる。
あの単線の向こうからやってきて
目の前を通りすぎたのは
EF81の503が牽く、コキ100・104系×20車の4060レ。

カマは単機だし、貨車は1両1両が長いし
黙っても400メートルはある長編成。
どうみてもあの頃見たセメントまみれの
タキ1900、7300、12200で組成された5374レではない。
けれど、自分はこう思う。
恐らくは、夕暮れの低い陽射しの中、
ヘッドライトを輝かせてこっちに向かってくる列車を
脚の痛くなるのも忘れ、夢中で待っていた10年前の自分が
同じ格好で4060レを待ってた自分をみて
何か思うことがあってか知らないけど
その瞬間だけここに会いにきたのではないかと。
尤も、クスリが欠かせなくなった自分を
10年前の自分がどうみていたかは知らないが。
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