明智光秀が織田信長を討ち果たした謀反の理由は長い間ナゾとされてきた。
信長が光秀を足蹴にしたからという「怨恨説」から信長暗殺後の天下取りを狙ったという「野望説」まで諸説紛々だが最近にわかにクローズアップされてきたのが信長の四国攻め回避を意図した「四国説」だ。
何せ光秀は沈着冷静、当代一流の文化人だったようだから私怨で激情に駆られて信長に刃を向けたなどあまりピンとこない。
それよりも信長との間を取り持っていた四国の雄、長曾我部元親との調停が首尾よく行かず板挟み状態に悩んでいた光秀の姿の方がもっともらしい。
その結果信長の四国攻めを阻止するため止むにやまれず決起したという「四国説」の方が真実味があるように思う。
逆賊の汚名を負った光秀は実は義理人情に厚い、(長曾我部一族との仲介を担った)部下思いの武将だったと思いたい。