Haste not, Rest not

二度と返ってこない今の自分の気持ちを積み重ねる部屋。

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2015-06-02 20:21:03 | 詩備忘録
見出しのようには表せない
(2015/05/07 22:12)

 この日は夜から取材。とてもディープな内容。

 とにかく一言で言い表して欲しい!っていう圧はいろいろなところにある。なるべく短い言葉で端的に説明できたほうが能力が高いんだと。確かにそうして膨大な情報から重要な部分を読み取って、適切に要約する能力は素晴らしいと思う。けれども、要約できないこと、略してしまったら失われてしまうこともある。すべてのことが見出しみたいな文字数で語れるわけではないのだ。だからまあ、書店に行けば、膨大な数の本があるわけで。

 ただ、コストだとか効率だとかいう言葉が、しっかり読み解く時間を減らそうとする。そんなのは金の無駄だと言ってくる。果たしてそうだろうか。まあ、答えは違うとしか言いようがない。読み解いたり、自分なりに考えて落とし込む手間こそに、読むっていうことの魅力がある。そもそも、文体に触れることだって読書の大切な要素だ。だから、10分でわかるナントカとか、そういう粗筋を追った本を読んだって得られるものは少ない。

 こういう、情報を圧縮してわかりやすくわ表せみたいな圧がどこに行き着くかというと、例えば、「フクシマ」というような言葉だと思う。意味を単純化して、外部化して、ただの音みたいな言葉にしてしまう。たった一言で様々な立場のひとを表せるわけがないのだ。そんなところ強引につなげるなと思うひとがいるかもしれないけれども、ここははっきり繋がっていると俺は考えている。多くのひとは、端的にまとめることの難しさ、不可能性について無頓着だと思う。もちろん、こんな俺も含めて。

 5月7日。

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2015-06-02 20:18:20 | 詩備忘録
ポピュラー
(2015/05/11 23:37)

 職業がどうあれ、市民が政治の話をすることは、普通のことだと思う。まあ、俺たちの声は大きいから(影響力があるという意味ね)、それに対してイラつく人がいることは理解できる。

 でも、なんつうんだろう、俺たちは言いたいことを言うのさ。それが自分の表現とどう結びついているのか、ということには自覚的なんだよね。聴衆がウザッ!とか思うかな、なんてことは折り込み済みで、俺はそのあたりにかけては筋金入りだから、随分昔からフェスで「今日は終戦記念日だとか」、「投票日だけど、選挙行ってからここに来たの?」とか、そういう面倒なことを言ってきたのだ。まあ、ワンマンのときにはアルバムの作品性を優先させるから、そういうことを言うことは言わないけれども。こういうMCをフェスとかイベントでやってると、その一面だけで捉えられるのね。ツイッターも然り。

 エンタメっつうか、ポピュラーであることへの圧ってのはすごい。食う食えないにも関わってくるから、笑い飛ばすわけにもいかない。でも、例えばポピュリズムみたなことを全面的排除できないようにこの世の中はできていて、そういう意味では、ポピュラーの質っていうのが、世の中を変えていくと思う。で、そういうことを語るには異端だけれども、逸脱はしていない、というような場所に俺はいる。だからまあ、少しでも、ポピュラーといわれているフィーリングが豊かになるように、俺はやるのみだ。

 誰かにウザがられてもね。ほいで、ウザがられることについても、年季が入っているのよ。それこそ、音楽を始める前から。笑。5月11日。

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2015-06-02 20:14:13 | 詩備忘録
大阪都構想
(2015/05/17 23:39)

「大阪都構想」の住民投票。否決。住民がこうして、自分たちの住んでいる町の行き先について直接的に問われることって、ありそうでなかった。そういう意味では、とても意義のある機会だったんだろうと、大阪の友人などと話して実感する。一方で、運営にかかった費用を考えると、高いコストでもあったんじゃないかと思う。

 はっきり言えば、こういった大きな決断が一発の投票で決まるのは、あんまりよくない。なぜかっていうと、こういうふうにドラスティックな状況にならないように、普段から議会があって、議員を選ぶ選挙があるからだ。なるべく多くの立場のひとの意見を反映させる議会があって、その場で、細かく脱皮を繰り返すように、政治ってのはよりよく改善されていくべきなのだ。そっちのほうが、急な生活の変化を強いられるひとが少ないから、だ。保守ってのはそういうことで、政治ってのは保守的なほうが安定的だ。でも、みんな「改革」みたいな言葉が好きなんだなと思う。「ぶっ壊す!」みたいな言葉に手繰り寄せられてしまう。まあ、自分の普段の閉塞感の打破をそこに重ね合わせてしまうからだけれども。

 もっとも、大きなチェンジを成し遂げるのに、性急な必要はどこにあるのだろうと思う。暮らすってこと自体は、なんかこう、こういうドラマティックな一回こっきりの大決断ではない。映画のハッピーエンドみたいに終わらないというか、素敵な出会いを描いたラストシーンで映画の幕は閉じても、生活ってのはその後がある。当たり前だよね。だから、なんか、投票して、結果がわかって、「ダメだったから辞めます」みたいな考え方は率直によく分からない。信念があり、必要を感じるのであるならば、時間をかけてでも進めるべきだし、否決された理由になっている懸案をカスタマイズして、もう一度提案すればいいではないか、と思う。スイッチひとつで電気が点くようなものではなくて、ギターアンプのボリュームをゆっくりあげていくことに似たものでしょう。実際、5と6のメモリの間には、これといって5.5みたいな場所はない。パキっと、5と6の真ん中ってないのだ。デジタルではなくて、アナログってことだね。

 普段からの積み重ねはとても大切だと思う。そうしないと、ある日突然に答え合わせの機会がやってきて、追い詰められてしまう。AかBか選びなさいなんていう機会は、選択肢が少ないってこと自体が、十分に追い詰められた状態なのだ。だって、普段、例えば何を食べたっていいのが普通でしょう。ラーメンでも饂飩でもカレーでも、(所持金の問題はさておいて)好きなものが食べられるのが日常で、買い物忘れて家になんもないとか、あるいは米不足でライス以外とか、制限が働くときは大概ピンチで、泥水か尿しか飲めるもんがないとかいう状況ははっきりと危機なわけだから、普段から選択肢があることのありがたみっていうのは忘れてはいかんと思う。

 そんなことを考えた。自分の住んでいる町のことも、普段から「どうせ変わらん」とか言わずに、ちゃんと考えないといけないなぁ、と。「変えよう」ってときに、実は「どうせ変わらん」と放棄していた諸々が、反転して押し寄せてくる。5月17日。


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