先日、『遠山啓 行動する数楽者の思想と仕事』という大冊を手に入れました。それは私が待ち望んでいた本でした。
私たち夫婦のミニコミ「啓」は息子の名前から来ていますが、それは勝手に遠山啓さんの名前を頂戴したものです。品があり、反権力の象徴の遠山さんにあやかってのことでした。
太郎次郎社エディタスのHPには以下のような紹介が出ています。
■『遠山啓 行動する数楽者の思想と仕事』 友兼清治 編著、太郎次郎社エディタス 、2017年03月、400ページ、本体3000円+税
〔内容〕(HPより)
遠山啓とはなにものか──。
1950年代から60年代、いまも読み継がれる『無限と連続』『数学入門』を著し、数学教育の改革を提唱して「水道方式」「量の体系」を創出。
障害児への教科教育の道を拓き、70年代には「競争原理批判」を展開。ガウス分布にもとづく5段階評価の誤りを指摘し、序列主義と学歴社会を超える論証を発表する。最晩年、教育の市民運動を主宰して、親と教師と若者をつないだ。
数学者・教育者・思想家にして教育運動の実践者。その仕事の全貌を遠山本人の著述とともに描きだす。本書は「遠山啓著作集」の編集者がまとめた初の評伝であり、「遠山啓による遠山啓入門」の書である。
◎まえがき
プロローグ◎水源に向かって歩く──行動する数楽者の生涯
第1章◎学問・文学と出会うまで──一九〇九年~一九三〇年(十歳~二十歳代)
1●母ひとり、子ひとりで育つ
2●数学・文学・哲学との出会い
3●六年間のまわり道
第2章◎先駆的な数学研究への情熱──一九四〇年代(三十歳代)
1●敗戦と学問
2●研究への没頭
3●戦後の民主化運動のなかで
第3章◎数学教育の改革運動へ──一九五〇年代(四十歳代)
1●数学教育協議会の設立
2●生活単元学習(新教育)への批判
3●生活単元学習の背景
4●教育による社会の改造と持続
第4章◎「水道方式」と「量の体系」を創る──一九六〇年代(五十歳代)①
1●日本の算数教科書の変遷
2●水道方式の創出
3●量の体系の構築
4●ブームと弾圧
第5章◎数学教育の現代化をめざして──一九六〇年代(五十歳代)②
1●数学教育の近代化から現代化へ
2●一貫カリキュラムに向けて
3●なぜ数学を学び、教えるのか
4●教育政策と学習指導要領
第6章◎人間の文化としての数学──一九六〇年代(五十歳代)③
1●数学という文化
2●数学にはどんな特質があるか
3●数学における方法とはなにか
4●数学はどのように発展してきたか
第7章◎知の分断を超えて──教育と学問・科学・芸術(ミドルサマリー)
1●学問と教育の分断を結ぶ
2●自然科学と人文科学の断層を埋める
3●科学教育と芸術教育をつなぐ…
第8章◎原点としての障害児教育──一九七〇年代(六十歳代)①
1●人間観・教育観をゆるがす体験
2●教育の原点を問う
3●人間は測り知れない存在
第9章◎競争原理・序列主義への挑戦──一九七〇年代(六十歳代)②
1●教育における自由と統制
2●国家主義と序列主義
3●教育思想としての競争原理批判…
第10章◎”術・学・観”の教育論──一九七〇年代(六十歳代)③
1●たのしい算数・数学
2●数学教育の二つの柱
3●教育の未来像」
第11章◎「ひと」運動のしごと──最晩年・一九七二年~一九七九年
1●『ひと』創刊の舞台裏
2●雑誌から生まれたうねり
3●ひと塾に集う
4●遠山啓と教育の市民運動…
エピローグ◎遠山啓という水脈──その闘いが遺したもの
◎あとがき
◎年譜と著作─遠山啓の軌跡
◎引用文献・出典一覧
この大冊を読み始めたのは最終章からでした。遠山さんとの出会いは雑誌「ひと」を通してだったのです。
1973年の新卒教師一年目の冬、東京練馬区の桜台駅近くの本屋に入ったとき、私の目に飛び込んできたのが「ひと」でした。それまでの教育雑誌にはないような変形横2段書きでした。一目見て気に入り、即座に購入しました。春休みに「ひと塾」が開かれるという案内を見つけ、すぐに申し込みました。私の受付番号が2番、山口緑(後の妻)は1番でした。
その後のひと塾で私の教育実践にもっとも示唆を得た竹内敏晴さんを知ることになります。遠藤豊吉さん、つるまきさちこさん、奥地圭子さん、鳥山敏子さん…数え切れない人たちから多くのことを学びました。
そして新卒教師の私にとって、「ひと」は教育実践のバイブルになっていったのです。「ひと」は全冊持っているだけでなく、部数が多いと割引が効いたため、職員室でも職員に勧めたものです。この時期は同時に日本生活教育連盟や村田栄一さんの影響も強く受けたのですが。
編著者の友兼清治氏にも思い出があります。当時「ひと」に実践記録が掲載されるということはこの上ない名誉なことでした。奥地圭子さんか鳥山敏子さんの紹介だったと思うのですが、劇上演の実践の原稿依頼が友兼さんから舞い込んだのです。自分としては力を入れて書いたつもりなのですが、脚本が掲載できないので原稿がわかりにくいということで掲載されることはありませんでした。「ひと」は普通のお母さんが読んでもわかるようにということで、遠山さんでも何回も書き直させたというのです。その時対応してくれたのが友兼さんでした。
私の原稿が唯一「ひと」に掲載されたのは、1999年9月号、詩「たんぽぽ」の授業記録でした。(『いちねんせい-ドラマの教室』所収)福田緑は私より早く、教育現場の「日の丸」「君が代」闘争の記事が掲載されたのです。
そういえば一度だけ「ひと」編集会議に招かれたことがありました。家庭科の特集のためのものでした。太郎次郎社代表の浅川満さんや宮島郁子さんと出会ったのでした。
さて本書は、第8章から10章に関係する分野・領域が、私の教師生活と重なります。
リアルタイムで遠山さんの本を読みあさっていたことになります。このあたりはゆっくり読み進めていって頭の中を整理していこうと思います。
算数教育の実践ということでは、遠山さんの著作には大変お世話になりました。世界に冠たる水道方式と言えると思います。
それにしても素晴らしい本が出来あがりました。国土社や太郎次郎社で遠山さん関連の雑誌や著作の編集に関わった友兼さんでしかなしえなかった本です。
昨今、森友学園の国家主義的な教育が話題になり、文科省が教育勅語を扱ってもかまわないという時代に、本物の教育とは何なのか、しっかり腰を据えて考えるために本書を読むことを勧めたいと思います。
私たち夫婦のミニコミ「啓」は息子の名前から来ていますが、それは勝手に遠山啓さんの名前を頂戴したものです。品があり、反権力の象徴の遠山さんにあやかってのことでした。
太郎次郎社エディタスのHPには以下のような紹介が出ています。
■『遠山啓 行動する数楽者の思想と仕事』 友兼清治 編著、太郎次郎社エディタス 、2017年03月、400ページ、本体3000円+税
〔内容〕(HPより)
遠山啓とはなにものか──。
1950年代から60年代、いまも読み継がれる『無限と連続』『数学入門』を著し、数学教育の改革を提唱して「水道方式」「量の体系」を創出。
障害児への教科教育の道を拓き、70年代には「競争原理批判」を展開。ガウス分布にもとづく5段階評価の誤りを指摘し、序列主義と学歴社会を超える論証を発表する。最晩年、教育の市民運動を主宰して、親と教師と若者をつないだ。
数学者・教育者・思想家にして教育運動の実践者。その仕事の全貌を遠山本人の著述とともに描きだす。本書は「遠山啓著作集」の編集者がまとめた初の評伝であり、「遠山啓による遠山啓入門」の書である。
◎まえがき
プロローグ◎水源に向かって歩く──行動する数楽者の生涯
第1章◎学問・文学と出会うまで──一九〇九年~一九三〇年(十歳~二十歳代)
1●母ひとり、子ひとりで育つ
2●数学・文学・哲学との出会い
3●六年間のまわり道
第2章◎先駆的な数学研究への情熱──一九四〇年代(三十歳代)
1●敗戦と学問
2●研究への没頭
3●戦後の民主化運動のなかで
第3章◎数学教育の改革運動へ──一九五〇年代(四十歳代)
1●数学教育協議会の設立
2●生活単元学習(新教育)への批判
3●生活単元学習の背景
4●教育による社会の改造と持続
第4章◎「水道方式」と「量の体系」を創る──一九六〇年代(五十歳代)①
1●日本の算数教科書の変遷
2●水道方式の創出
3●量の体系の構築
4●ブームと弾圧
第5章◎数学教育の現代化をめざして──一九六〇年代(五十歳代)②
1●数学教育の近代化から現代化へ
2●一貫カリキュラムに向けて
3●なぜ数学を学び、教えるのか
4●教育政策と学習指導要領
第6章◎人間の文化としての数学──一九六〇年代(五十歳代)③
1●数学という文化
2●数学にはどんな特質があるか
3●数学における方法とはなにか
4●数学はどのように発展してきたか
第7章◎知の分断を超えて──教育と学問・科学・芸術(ミドルサマリー)
1●学問と教育の分断を結ぶ
2●自然科学と人文科学の断層を埋める
3●科学教育と芸術教育をつなぐ…
第8章◎原点としての障害児教育──一九七〇年代(六十歳代)①
1●人間観・教育観をゆるがす体験
2●教育の原点を問う
3●人間は測り知れない存在
第9章◎競争原理・序列主義への挑戦──一九七〇年代(六十歳代)②
1●教育における自由と統制
2●国家主義と序列主義
3●教育思想としての競争原理批判…
第10章◎”術・学・観”の教育論──一九七〇年代(六十歳代)③
1●たのしい算数・数学
2●数学教育の二つの柱
3●教育の未来像」
第11章◎「ひと」運動のしごと──最晩年・一九七二年~一九七九年
1●『ひと』創刊の舞台裏
2●雑誌から生まれたうねり
3●ひと塾に集う
4●遠山啓と教育の市民運動…
エピローグ◎遠山啓という水脈──その闘いが遺したもの
◎あとがき
◎年譜と著作─遠山啓の軌跡
◎引用文献・出典一覧
この大冊を読み始めたのは最終章からでした。遠山さんとの出会いは雑誌「ひと」を通してだったのです。
1973年の新卒教師一年目の冬、東京練馬区の桜台駅近くの本屋に入ったとき、私の目に飛び込んできたのが「ひと」でした。それまでの教育雑誌にはないような変形横2段書きでした。一目見て気に入り、即座に購入しました。春休みに「ひと塾」が開かれるという案内を見つけ、すぐに申し込みました。私の受付番号が2番、山口緑(後の妻)は1番でした。
その後のひと塾で私の教育実践にもっとも示唆を得た竹内敏晴さんを知ることになります。遠藤豊吉さん、つるまきさちこさん、奥地圭子さん、鳥山敏子さん…数え切れない人たちから多くのことを学びました。
そして新卒教師の私にとって、「ひと」は教育実践のバイブルになっていったのです。「ひと」は全冊持っているだけでなく、部数が多いと割引が効いたため、職員室でも職員に勧めたものです。この時期は同時に日本生活教育連盟や村田栄一さんの影響も強く受けたのですが。
編著者の友兼清治氏にも思い出があります。当時「ひと」に実践記録が掲載されるということはこの上ない名誉なことでした。奥地圭子さんか鳥山敏子さんの紹介だったと思うのですが、劇上演の実践の原稿依頼が友兼さんから舞い込んだのです。自分としては力を入れて書いたつもりなのですが、脚本が掲載できないので原稿がわかりにくいということで掲載されることはありませんでした。「ひと」は普通のお母さんが読んでもわかるようにということで、遠山さんでも何回も書き直させたというのです。その時対応してくれたのが友兼さんでした。
私の原稿が唯一「ひと」に掲載されたのは、1999年9月号、詩「たんぽぽ」の授業記録でした。(『いちねんせい-ドラマの教室』所収)福田緑は私より早く、教育現場の「日の丸」「君が代」闘争の記事が掲載されたのです。
そういえば一度だけ「ひと」編集会議に招かれたことがありました。家庭科の特集のためのものでした。太郎次郎社代表の浅川満さんや宮島郁子さんと出会ったのでした。
さて本書は、第8章から10章に関係する分野・領域が、私の教師生活と重なります。
リアルタイムで遠山さんの本を読みあさっていたことになります。このあたりはゆっくり読み進めていって頭の中を整理していこうと思います。
算数教育の実践ということでは、遠山さんの著作には大変お世話になりました。世界に冠たる水道方式と言えると思います。
それにしても素晴らしい本が出来あがりました。国土社や太郎次郎社で遠山さん関連の雑誌や著作の編集に関わった友兼さんでしかなしえなかった本です。
昨今、森友学園の国家主義的な教育が話題になり、文科省が教育勅語を扱ってもかまわないという時代に、本物の教育とは何なのか、しっかり腰を据えて考えるために本書を読むことを勧めたいと思います。