桂昌院 善峰寺
「玉の輿」玉って、誰だ?
主に女性が、結婚相手の地位財産に恵まれ自身も幸せな暮らしを送ることを言う。語源は、京都の八百屋仁左衛門の娘、お玉が語源と言われる。
「お玉は、関白家の家司である北小路家に養われ、徳川家光の時代に春日の局の御小姓に上がり、将軍家光のお手付きとなり後の綱吉の母、即ち桂昌院となった。」
以上は、あくまでも俗説であり、西陣織屋の娘、畳屋の娘、はたまた高麗人の娘などという説もある。いずれにしても女性では史上最高位の従一位まで出世したのであるから、まさに玉の輿である。
歴史的には、天下の悪法である「生類憐みの令」の発令に深く関わったと言われ、僧の隆光と共にむしろ悪のイメージが強い。
しかしそのような事情(綱吉に子が出来なかったこと)から、京都の多くのお寺の復興に貢献している。京都西山の善峯寺を始めとして、京都槙尾の西明寺(清凉寺式の釈迦如来立像が有名)、東山の智積院(長谷川等伯・久兵衛親子作の楓桜図は国宝)、南禅院(南禅寺の発祥の寺)、乙訓寺(本尊の合体大師像は空海と八幡菩薩の合体と言われる秘仏)、勝持寺(西行ゆかりの西行桜が有名)など数多い。
お玉さんは、たくさんの寺院を復興してくれたのだ!!
・善峯寺
西国33か所観音霊場巡り20番札所。西山三山の一つ。善峯寺は、京の西の端にある。行政区分は西京区となっているが、すぐ東は向日市、南は長岡京市だ。釈迦岳の頂のすぐ山すそに伽藍群が立ち並ぶ。それら建物が、ほとんど応仁の乱で焼失したものを、桂昌院が江戸時代に再建したのである。訪ねて見て分かるが、洛中から遠く離れたここまで応仁の乱の影響が及んだと思うと、京都の人が「先の大戦」というと太平洋戦争ではなく応仁の乱の事だと言うのもうなずける。
京都人の、先の大戦とは? 応仁の乱
巨大な山門を通ると、まず観音堂が見えてくる。西国観音霊場巡礼の人はここで納経をもらう。すぐ横には、仏様に供えるという「閼伽井のお香水」がある、飲めば長寿の効果があるので飲んで行く人も多い。南側にある新しい建物の文殊寺宝塔は、300点余りの貴重な文化財が収められている。そして、順路に従い進むと、国指定の天然記念物である五葉松「遊龍松」が見えてくる。このお寺の最大の見どころはここである。まさに龍が遊んでいるかの如く地面に生え伸びている。37メートルにも及ぶ高さ1メートルほどの松は壮観だ。因みに、京の三大松は、金閣寺の「陸舟の松」三千院塔頭の宝泉院の「五葉の松」である。
また、すぐ横には、「桂昌院の枝垂れ桜」があり、樹齢300年のこの桜は、満開時には華やかな姿を見せる。この辺りからは、京都市内から比叡山まで一望できる。さらに、多宝塔、開山堂、釈迦堂、薬師堂、阿弥陀堂と巡れば約一時間はかかる。桂昌院の遺徳を偲びながら、桜の季節、紅葉の季節共に楽しめる洛西の名刹だ。
・おすすめコース
善峯寺~山鈷寺~光明寺~乙訓寺~宝積寺
西山三山を巡るコースだが、交通の便はバスくらいで、タクシーか車で巡ることになる。善峯寺のすぐ隣にある三鈷寺は、眺めがよく二大仏七城俯瞰の地と言われる。二大仏とは、奈良の大仏、方広寺の大仏。7城とは、聚楽第、淀城、二条城、伏見城、大阪城等々を、一望出来るという訳だ。光明寺は、洛中の金戒光明寺と区別するために、粟生光明寺と言う。
その光明寺、法然上人が初めて念仏の法門を開いたのがここである。その後、熊谷次郎直実が、法然を慕い、蓮生坊として、法然を勧請開山とし、自分を二代目開山として始めたのが、光明寺の由来である。当初、念仏三昧院と称していたのだが、法然の遺骨を納めた棺から、幾筋もの光明が、ここ粟生の里に降り注いだことから、現在の寺名になった。
御本尊は、なんと紙粘土??
石段を登り切った正面の、本堂の本尊「張り子の御影」は、法然の母が、息子に送った手紙を、一つ一つ水に浸して紙粘土にして作った自らの御影である。法難にあった息子への思いを託した手紙だと思われる。
このお寺の見どころは、何と言っても紅葉である。その季節には、大勢の人が押し掛け車は渋滞して、混雑する。山門をくぐって、正面が男坂、左が女坂。この正面の石段の紅葉が左右から覆いかぶさりそのアーチの中を登るのが、人気スポットである。筆者は個人的な事情からその季節を避けてお参りする。22歳で亡くなった学生時代の、唯一無二の親友の墓があるからである。彼は、生前にこのお寺の魅力を自らの散文に残していた。「光明寺の甍に抱かれて眠りたい。」と書いてあった。就職が決まった直後の若すぎる死であった。
乙訓寺は、聖徳太子の創建と言う古い歴史を誇る寺で、平安遷都の当時、藤原種継の乱で、謀反を疑われた早良親王が、幽閉された寺でも有名だ。ボタンの花で有名で、5000株の花が毎年ゴールデンウィーク頃に満開となる。 十輪寺は、在原業平ゆかりの寺で、恋しい元の恋人にその思いを託して、塩焼きの煙で知らせた「塩釜の跡」が残されている。
湧水が飲めるお寺がある。
そして、西山三山の最後は、柳谷観音の柳谷寺だ。こちらも車で行くしかない。毎月17日と18日の円鎮上人と観音様の命日にはバスが運行されるが、それ以外は訪れる人も少なく静かにお参りできる。ただしその二日間以外は、本尊の十一面千手千限観音は秘仏である。まずは、靴を脱いで静かにお参りする。広くはないが幻想的な本堂内で線香をあげ手を合わせる。本尊と両脇仏は秘仏で見えないが、歴史を感じる雰囲気の中で手を合わせれば不思議と、ご利益が願える気がする。さらに奥の院へと訪ねて見る。
途中、中庭も見どころだ。鑑賞式の池泉の庭は、狭い中に一定の空間を演出した味わい深い庭だ。やはりこの辺りの寺は、秋の紅葉の季節が良いようだ。訪れた日は、3月とは言え底冷えのする日だったが、葉も花もなくとも木の芽の息吹が感じられるこのような時期にこそ生命の気配が感じられる。奥の院へは、長い回廊を登っていく。奈良の長谷寺の本堂へ延々と続く回廊を思い出す。こちらは、靴を脱いだ足で登る分足にこたえる。ふと頭上を見ると、各地の報恩講の記念の額が並ぶ。観音信仰の歴史を感じる。ほとんどが大阪や西国からのものだ。この山の峠を越えるとすぐ高槻で、むしろ大阪方面から近いのだ。奥の院からは、善峰寺ほどのパノラマではないが京都市内が一望出来た。
膝をさすりながら降りてくると、いよいよここの名所「独鈷水」を訪ねる。本堂左手に回る。空海が、仏具の独鈷をもって掘り当てたと言われる霊水だ。サルが自分の子の目をその水で洗っていたと伝えられ、獣にも効くのであれば人にも効くとして、眼病に効果があるとされる。ドッコ水ではなく、オコウ水と読む。京都の難しいのは、独鈷(ドッコ)で掘り当てたのならば、ドッコ水で良いのに読み方は違うのだ。もちろん飲める。京都の楽しみ方には、名水巡りというのも良い。醍醐の醍醐水。宇治上神社の桐原水。御香の宮の御香水。松尾神社の亀の井等々数多い。しかし、残念ながら現在も十分な水量を保っているのは、ほとんどない。こちら独鈷水は、ふつふつと湧き出ている。しかもうまい。ちょうど若いご婦人が、持参のタンクに水を汲んでいた。この水と、石清水八幡宮の湧水が一番うまいとおっしゃる。石清水の水は、ミネラルが多くすっきり飲める。そして独鈷水は、純度の高い無味の水で全く癖がないとの事。これらを飲めば、市販の水は飲めないとの事で、水道水など臭くて・・・。とおっしゃる。
しばしばこちらに水を汲みに来るとの事、その拘りがなんとも羨ましい思いがした。
そのお陰か、ご婦人は、ミニスカートがまぶしい美人で肌も美しい方だった。しばしの会話でなぜかすがすがしい気分で、京の西山三山をすべてまわり終えた。いずれも山中に位置しているので、車ですべて訪ねれば丸一日かかっても時間が足らない。
「玉の輿」玉って、誰だ?
主に女性が、結婚相手の地位財産に恵まれ自身も幸せな暮らしを送ることを言う。語源は、京都の八百屋仁左衛門の娘、お玉が語源と言われる。
「お玉は、関白家の家司である北小路家に養われ、徳川家光の時代に春日の局の御小姓に上がり、将軍家光のお手付きとなり後の綱吉の母、即ち桂昌院となった。」
以上は、あくまでも俗説であり、西陣織屋の娘、畳屋の娘、はたまた高麗人の娘などという説もある。いずれにしても女性では史上最高位の従一位まで出世したのであるから、まさに玉の輿である。
歴史的には、天下の悪法である「生類憐みの令」の発令に深く関わったと言われ、僧の隆光と共にむしろ悪のイメージが強い。
しかしそのような事情(綱吉に子が出来なかったこと)から、京都の多くのお寺の復興に貢献している。京都西山の善峯寺を始めとして、京都槙尾の西明寺(清凉寺式の釈迦如来立像が有名)、東山の智積院(長谷川等伯・久兵衛親子作の楓桜図は国宝)、南禅院(南禅寺の発祥の寺)、乙訓寺(本尊の合体大師像は空海と八幡菩薩の合体と言われる秘仏)、勝持寺(西行ゆかりの西行桜が有名)など数多い。
お玉さんは、たくさんの寺院を復興してくれたのだ!!
・善峯寺
西国33か所観音霊場巡り20番札所。西山三山の一つ。善峯寺は、京の西の端にある。行政区分は西京区となっているが、すぐ東は向日市、南は長岡京市だ。釈迦岳の頂のすぐ山すそに伽藍群が立ち並ぶ。それら建物が、ほとんど応仁の乱で焼失したものを、桂昌院が江戸時代に再建したのである。訪ねて見て分かるが、洛中から遠く離れたここまで応仁の乱の影響が及んだと思うと、京都の人が「先の大戦」というと太平洋戦争ではなく応仁の乱の事だと言うのもうなずける。
京都人の、先の大戦とは? 応仁の乱
巨大な山門を通ると、まず観音堂が見えてくる。西国観音霊場巡礼の人はここで納経をもらう。すぐ横には、仏様に供えるという「閼伽井のお香水」がある、飲めば長寿の効果があるので飲んで行く人も多い。南側にある新しい建物の文殊寺宝塔は、300点余りの貴重な文化財が収められている。そして、順路に従い進むと、国指定の天然記念物である五葉松「遊龍松」が見えてくる。このお寺の最大の見どころはここである。まさに龍が遊んでいるかの如く地面に生え伸びている。37メートルにも及ぶ高さ1メートルほどの松は壮観だ。因みに、京の三大松は、金閣寺の「陸舟の松」三千院塔頭の宝泉院の「五葉の松」である。
また、すぐ横には、「桂昌院の枝垂れ桜」があり、樹齢300年のこの桜は、満開時には華やかな姿を見せる。この辺りからは、京都市内から比叡山まで一望できる。さらに、多宝塔、開山堂、釈迦堂、薬師堂、阿弥陀堂と巡れば約一時間はかかる。桂昌院の遺徳を偲びながら、桜の季節、紅葉の季節共に楽しめる洛西の名刹だ。
・おすすめコース
善峯寺~山鈷寺~光明寺~乙訓寺~宝積寺
西山三山を巡るコースだが、交通の便はバスくらいで、タクシーか車で巡ることになる。善峯寺のすぐ隣にある三鈷寺は、眺めがよく二大仏七城俯瞰の地と言われる。二大仏とは、奈良の大仏、方広寺の大仏。7城とは、聚楽第、淀城、二条城、伏見城、大阪城等々を、一望出来るという訳だ。光明寺は、洛中の金戒光明寺と区別するために、粟生光明寺と言う。
その光明寺、法然上人が初めて念仏の法門を開いたのがここである。その後、熊谷次郎直実が、法然を慕い、蓮生坊として、法然を勧請開山とし、自分を二代目開山として始めたのが、光明寺の由来である。当初、念仏三昧院と称していたのだが、法然の遺骨を納めた棺から、幾筋もの光明が、ここ粟生の里に降り注いだことから、現在の寺名になった。
御本尊は、なんと紙粘土??
石段を登り切った正面の、本堂の本尊「張り子の御影」は、法然の母が、息子に送った手紙を、一つ一つ水に浸して紙粘土にして作った自らの御影である。法難にあった息子への思いを託した手紙だと思われる。
このお寺の見どころは、何と言っても紅葉である。その季節には、大勢の人が押し掛け車は渋滞して、混雑する。山門をくぐって、正面が男坂、左が女坂。この正面の石段の紅葉が左右から覆いかぶさりそのアーチの中を登るのが、人気スポットである。筆者は個人的な事情からその季節を避けてお参りする。22歳で亡くなった学生時代の、唯一無二の親友の墓があるからである。彼は、生前にこのお寺の魅力を自らの散文に残していた。「光明寺の甍に抱かれて眠りたい。」と書いてあった。就職が決まった直後の若すぎる死であった。
乙訓寺は、聖徳太子の創建と言う古い歴史を誇る寺で、平安遷都の当時、藤原種継の乱で、謀反を疑われた早良親王が、幽閉された寺でも有名だ。ボタンの花で有名で、5000株の花が毎年ゴールデンウィーク頃に満開となる。 十輪寺は、在原業平ゆかりの寺で、恋しい元の恋人にその思いを託して、塩焼きの煙で知らせた「塩釜の跡」が残されている。
湧水が飲めるお寺がある。
そして、西山三山の最後は、柳谷観音の柳谷寺だ。こちらも車で行くしかない。毎月17日と18日の円鎮上人と観音様の命日にはバスが運行されるが、それ以外は訪れる人も少なく静かにお参りできる。ただしその二日間以外は、本尊の十一面千手千限観音は秘仏である。まずは、靴を脱いで静かにお参りする。広くはないが幻想的な本堂内で線香をあげ手を合わせる。本尊と両脇仏は秘仏で見えないが、歴史を感じる雰囲気の中で手を合わせれば不思議と、ご利益が願える気がする。さらに奥の院へと訪ねて見る。
途中、中庭も見どころだ。鑑賞式の池泉の庭は、狭い中に一定の空間を演出した味わい深い庭だ。やはりこの辺りの寺は、秋の紅葉の季節が良いようだ。訪れた日は、3月とは言え底冷えのする日だったが、葉も花もなくとも木の芽の息吹が感じられるこのような時期にこそ生命の気配が感じられる。奥の院へは、長い回廊を登っていく。奈良の長谷寺の本堂へ延々と続く回廊を思い出す。こちらは、靴を脱いだ足で登る分足にこたえる。ふと頭上を見ると、各地の報恩講の記念の額が並ぶ。観音信仰の歴史を感じる。ほとんどが大阪や西国からのものだ。この山の峠を越えるとすぐ高槻で、むしろ大阪方面から近いのだ。奥の院からは、善峰寺ほどのパノラマではないが京都市内が一望出来た。
膝をさすりながら降りてくると、いよいよここの名所「独鈷水」を訪ねる。本堂左手に回る。空海が、仏具の独鈷をもって掘り当てたと言われる霊水だ。サルが自分の子の目をその水で洗っていたと伝えられ、獣にも効くのであれば人にも効くとして、眼病に効果があるとされる。ドッコ水ではなく、オコウ水と読む。京都の難しいのは、独鈷(ドッコ)で掘り当てたのならば、ドッコ水で良いのに読み方は違うのだ。もちろん飲める。京都の楽しみ方には、名水巡りというのも良い。醍醐の醍醐水。宇治上神社の桐原水。御香の宮の御香水。松尾神社の亀の井等々数多い。しかし、残念ながら現在も十分な水量を保っているのは、ほとんどない。こちら独鈷水は、ふつふつと湧き出ている。しかもうまい。ちょうど若いご婦人が、持参のタンクに水を汲んでいた。この水と、石清水八幡宮の湧水が一番うまいとおっしゃる。石清水の水は、ミネラルが多くすっきり飲める。そして独鈷水は、純度の高い無味の水で全く癖がないとの事。これらを飲めば、市販の水は飲めないとの事で、水道水など臭くて・・・。とおっしゃる。
しばしばこちらに水を汲みに来るとの事、その拘りがなんとも羨ましい思いがした。
そのお陰か、ご婦人は、ミニスカートがまぶしい美人で肌も美しい方だった。しばしの会話でなぜかすがすがしい気分で、京の西山三山をすべてまわり終えた。いずれも山中に位置しているので、車ですべて訪ねれば丸一日かかっても時間が足らない。