アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

アチャコのアキレス腱断絶日誌 

2017-04-06 15:23:59 | 日記

     アキレス腱切った

「アキレス腱を切りました。私は62歳の孫二人の爺だ。テニスでやっちゃった。これでも(?今や体重80キロ越えのメタボおやじだが)その昔は、一応のテニス選手だった。昔取った〇〇というところだ。しかし、「びしっ!」という音と共に、切れた。同時に、吾輩のテニス人生も切れた。やる気が切れたのだ。しかし、そんな格好いいものではない。それからの回復人生は、長く辛いものになるのだ。

 最大の問題点は、吾輩は、「単身赴任のサラリーマン」なのだ。東京には、一人で平日いるだけ。断絶後、救急車で、病院に運ばれたが、応急処置の後は、「お帰り下さい。」と、言わんばかりの雰囲気だ。車いすに、松葉杖と共に乗せられ、それを着替えと一緒に抱えて一人緊急処置室から掘り出され、車いすを押してくれる人もいなくなり、タクシーに乗せられた。独り住まいのマンションに帰るかどうしようか?こんな状態で、一人では何も出来ない。最初の難題。どうしよう???足は痛いし、だんだん痛いし・・・・。」

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番外編  二宮忠八  飛行神社

2017-04-06 15:18:12 | 日記

番外 二宮忠八 飛行神社

・ライト兄弟よりも早く飛行理論を開発  二宮忠八
 
ご存じでしょうか。世界で最初に人力飛行機の開発をした人が、日本人であること。
二宮忠八は、1866年生まれで陸軍に従軍中に、「飛行器」を開発、ゴム動力で10メーターの飛行記録を残している。当時の上官に進言するが、認められず、結果、ライト兄弟に先んじられたのだが、彼の論理が正しいことはその後の研究で実証されている。カラスが、羽ばたかずに滑空していることを見て、固定翼を考え付いた。彼が考えた玉虫型飛行器は、2017年名古屋工業高校が復元し、有人で70メーターの飛行を成功させている。ライト兄弟の飛行成功は、1903年。二宮の開発はそれに先んじる1893年。実用化に年月がかかったとしても、世界最初の有人飛行の称号を得る可能性は多分にあった訳だ。二宮は、その後業績を認められて勲章を受けたり、国定教科書にも載ったりしている。また、製薬会社に長く勤め、その方面でも高い業績を上げている。
・飛行神社
二宮忠八は、飛行機が実用化された後も、飛行機事故で亡くなる方が後を絶たず、その御魂を弔うため自費で、神社を建立した。
祭神は、飛行機事故で亡くなった方をすべて祭っている点で、招魂社である靖国神社に似ている。京都府八幡市の石清水八幡宮の近くにある。鳥居は飛行機の機体に使用されるジュラルミンを使っていて、拝殿もギリシャ調のモダンなデザインとなっている。なお、二宮忠八が製薬会社にいたことから、薬祖神も共にお祭りしている。

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