六角堂の枝垂れ桜
⑩ 花山天皇
奇行の天皇が幾人か歴史に残っている。
最も古い記録では、25代武烈天皇。古事記・日本書紀の時代である。当然ながら朝廷の基盤が定まっていず、記録的にも不正確で恣意的な記述が多い。それでも相当にひどい表現で記録されている天皇なので、なにがしかの事実があったのだろうか?「妊婦の腹を裂いて胎児を見た。」「人のなま爪を剥いで芋ほりをさせた。」などなど、残虐な性格で幾多の悪事や虐待を繰り返したと言われている。この天皇は、応神・仁徳の系統の最後の天皇で子がなく、崩御後、遠く越前の国から次期天皇を迎えた。それが継体天皇であるが、新政権ともいえる大改革であった為、記録にはその正当性と、継体天皇の功績をたたえている。従って前政権の最後の天皇を貶めて書かれたと思われる。
また、桓武天皇の子、平城天皇も、評価は低い。それは「薬子の変」の首謀者である藤原薬子との関係である。薬子は女性であり、その娘を平城天皇の中宮にしている。即位後、健康にすぐれない平城天皇は自ら皇位を弟の嵯峨天皇に譲る。ここからがややこしいのだが、譲位したとたんに元気になったのである。そこで、薬子が、重祚すなわち再び天皇に就くことを進言する。そして奈良の平城京に都を戻すことを策略し、藤原氏同士の権力争いとも相まって「薬子の変」を起こす。平城天皇は、中宮と母の薬子と、いずれとも男女の中であったと言われているので、話は一層ややこしい。結果、無残にも敗北し、その結果、桓武天皇から嵯峨天皇と天皇親政の時代がしばらく続く。その大きな功績を残した大物天皇の間に挟まって、平城天皇の評価は、当然貶められた。
そして花山天皇。
西国33か所観音霊場巡礼のお寺を開いた徳ある天皇という評価の一方、奇行がいくつも記録されている天皇である。花山天皇と父の冷泉天皇には、藤原元方の怨霊の影響が強くあったと言われている。冷泉天皇が即位するに当たり藤原摂関家の強烈な権力争いがあり、敗れた藤原元方の強い怨霊の影響があり、怪現象が相次いだと記録されている。花山天皇は、即位式にあたりその王冠が重いと言って脱いだとされる話から、なんと、その即位式の最中に、玉座(高御座)の中で、その場で目に付いた女官と我慢できず事に及んでいたという話まである。その他艶聞が多い、そして、最愛の女御を妊娠中に亡くし、心労のあまり出家したと言われる。しかしその出家も、藤原氏の陰謀があったようで、一緒に出家しようと言った最愛の部下である藤原道兼に神器を奪われた上に、直前に裏切られたようである。結果、恨みを残して出家した天皇は、西国の33か所のお寺を巡礼して回ったというのである。
出家後も欲求は我慢できず、ある女御が妊娠して皇子を生んだ、しかしそのほぼ同時期、その母君も妊娠させていてこちらも皇子を生んでいる。従って、前者を「娘腹の宮」後者を「母腹の宮」と呼ばれたと言う。先の平城天皇もそうだが、昔の天皇は誠に元気であったのだ。
・六角堂 頂法寺
花山天皇が開いた西国33か所観音霊場18番札所頂法寺は、その本堂の形から、六角堂の名で親しまれている。以前は六角形ではなかったらしいが、今は見事な正六角形だ。ここは、京都の中心地で、京のへそと言われる。実際、境内に「へそ石」がある。平安京建設の折り、通りの真ん中にあった石に困っていると、一夜にして石が自ら境内に移動したと言われる「へそ石」だが、現在はその中心に賽銭が積まれている。
平安京建当時、東寺と西寺だけが官寺として建てられて、それ以外洛中には新たに寺を建設することは禁じられた。しかし、ここ頂法寺と行願寺(革堂)だけは、それ以前に創建されていて、町堂として親しまれていた。
六角堂は、聖徳太子創建であるが、親鸞の「救世観音の夢告」と呼ばれる逸話が残る。比叡山で修行していた親鸞が、迷った挙句、仏教の危機を感じ、山を降りて六角堂に100日間籠った。その、95日目、遂に観音様が現れた。その際のお告げは「もし今まで女犯の罪を犯したのならば、あるいは今後犯すことがあれば自分がその相手となろう。また、臨終の際には、必ず往生を遂げるであろう。そしてそのことを幾千万の民衆に説いて行け。」というような主旨のお告げがあったとされている。真宗の言う、悪人も善人も等しく往生を遂げる18番本願の教えはここに由来する。また、僧も普通に肉食妻帯するようになったのもここから始まった。
また、池坊が代々この寺の住職を務める。そもそもは、聖徳太子が沐浴した池の傍に建てられた寺である事から、「池の坊」の名前が付いた。それが室町時代、専慶・専好の時代に「立花」を大成し今日の生け花に発展させた。家元制度の発案も池坊と言われる。現家元は、45世 専永。次期家元46世は、伝統ある「専好」の名を継ぐ。すでに、先日の伊勢志摩サミットの花の飾りつけ一切を担当した現代的な女性家元だ。
境内は狭く、三条通から山門を入ると、すぐ右にへそ石、正面が本堂、本尊は如意輪観音。完全な秘仏で、公開はめったにない。前立の像は、手が6本だが、秘仏は手は2本の像で、奥の三重の厨子の中に厳重に収められていて、文化財指定も拒否しているので制作年や詳しい調査は出来ていない。
本堂右奥に、太子堂があり、新しく朱塗りのお堂は目に鮮やかだ。その横には、最近の制作とみられる羅漢さんの石像達が微笑ましい。鐘楼は、三条通を隔てて南側の敷地外に設置されている。
格式ある良いお寺だが、残念なのは、正確に時を刻むこの鐘。実はオートマチックである事(そりゃ正確やろ)そして、本堂の読経は、どうやら録音テープだ。
また、中心地なので仕方無いが、周囲はほぼマンションと池坊の本部のビルに囲まれる。不遜な感じがするが、仕方ない。いずれ、マンションの屋上に、鎮座する如意輪観音とならないようお願いしたい。
・おすすめコース
京都市内にある、 西国33か所巡りのうち 8か所
10番三室戸寺~11番上醍醐~15番今熊野観音寺~16番清水寺~17番六波羅蜜寺~18番頂法寺~19番行願寺~20番善峯寺 以上8か所。12~14は、滋賀県。
最近、納経帖を片手にお寺巡りする女性が増えた。高尚なスタンプラリーだ。それならばと、四国お遍路や西国観音霊場は如何だろうか。掛け軸に納経してもらうと一層豪華で床の間に飾れる。