㊾ アキレス腱つながった
今週末、医者から、いよいよ歩行訓練の始まりと言われている。インターネット上色々な情報があり、リハビリの注意点が書かれている。要は、無理せず根気よく、だ。再断絶が最も避けねばならない事としている。元より怖がりの私としては、慎重にも慎重を期して臨みたい。
さて、今日は、永観堂。正式には「禅林寺」と言う。
創建は、平安初期だ。平安京創設以来、東寺と西寺以外の新たな寺の建設は禁じられていた。清和天皇の時、勅額を賜り「禅林寺」の名を賜り、陽成天皇の時に勅願寺として発足した。
文徳・清和・陽成と続く時代は、藤原氏の台頭初期に当たり、応天門の変など政変が続き、摂関政治に向けて天皇周辺は騒然としていた。そして、東日本大震災で注目された貞観の大地震は869年で、まさに陽成天皇の時代であった。おそらく国家存続の危機感があったはずだ。
従って、この寺の発足には鎮護国家の道場としての役割を強く担っていた。
通称の「永観堂」となったのは、中興の祖と言われた永観が修行中に、阿弥陀如来の周りを念仏しながら巡っていると、いつの間にか阿弥陀如来も共に歩き出し、後ろに続く永観を振り返り「永観遅し」と諫めたという。そのまま左に振り返ったままのお姿になったという訳だ。修行の歩みが遅いと叱ったのであろう。
従って、ここ阿弥陀堂内では、みんな正面で拝むのではなく右側に回り込んで拝むという、不思議な光景が見れる。優しいお姿の阿弥陀如来はお顔も誠に優しく慈悲を感じるが、実物は意外に身の丈が小さいために驚く。
寺宝は、これも含めて数多いが、国宝は有名な「山越阿弥陀」正式には、「絹本着色山越阿弥陀図」だ。山を越えてわざわざ私たちを導きに来て下さる阿弥陀様の姿を現している。
しかし難しい事はさておき、紅葉の永観堂の名にふさわしく、秋の永観堂は理屈抜きで美しい。年によっての紅葉の出来栄えには差が出るが、ここは裏切らない。
奥山の岩垣紅葉散りぬべし 照る日の光 見る時なくて 藤原関雄 古今集
その歌に歌われた岩垣紅葉は、永観堂の七不思議の一つとして今に伝えられる。
秋のシーズンには、夜のライトアップで一層美しい眺めが楽しめる。ただ、高台寺など有名どころは外国人観光客が押し寄せて、マナー違反も多く興ざめだ。
境内図と見返り阿弥陀如来は禅林寺ホームページから引用。
文中登場の皇統図
桓武―嵯峨―仁明―文徳―清和―陽成
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光考―宇多―醍醐