㊽ アキレス腱つながった
療養生活で新たな課題は、体重管理だ。骨折や腱の切断の経験者ならばみんな、消費カロリーの低下から体重が激増している。出来る限りのストレッチはするが、食事を通常通りすると太る。昼飯は当面は、やめる事にする。
南山城の歴史的名刹。岩船寺。
京都と奈良の間に、南山城と言う地域がある。現在の木津市周辺だ。京都府内だが奈良市に隣接している地域で、興福寺や東大寺の寺領に位置する。その為に、南都仏教の発展と共に寺院が広がった。近くには、浄瑠璃寺や海龍山寺などの古刹が多い。
岩船寺は、別名花の寺だ。寺のパンフレットには、四季の花の様子がきれいに掲載されている。創建は、聖武天皇の時代の行基上人に遡るが、桓武天皇の皇子、嵯峨天皇の時代、皇后橘嘉智子(檀林皇后)により寺の伽藍が整備された。皇孫誕生の祈願成就によるものと言われている。嵯峨天皇は、兄の平城天皇と薬子の変を戦い、その後皇位を自らの皇統に安定的に継ぐために、皇子の誕生が切実な願いであったのである。事実その子、仁明天皇の子孫が長く続くことになる。
因みに、檀林皇后は相当な美人だったようだが、死後自らの姿を描かせることで、世のはかなさを説いた人である。京都の西福寺に皇后の死後の姿を9段階に描いた「九相図」を残している。どんなに美しい女性も皮一つ隔てて醜い肉の塊であり、死後蛆虫が群がる汚物でしかないのである。まさに世の無常を教えてくれるのである。
さて、岩船寺。たっぷり一日時間を取ってゆっくり見たい寺だ。
本堂の本尊阿弥陀如来坐像は、村上天皇時代の銘が確認できるものである。寺伝では行基作と言われるが、時代は合わない。村上天皇は、嵯峨・仁明の時代から100年後だし、行基は奈良時代だ。いずれにしても国宝に指定されていないのが不思議なくらい貴重な仏像だ。表面の劣化は進んでいるが、優しいその表情は魅力的だ。住職に「国宝でも良いのにね。」と言うと「国宝に指定されるといろいろうるさいから断っている。」との事。本当?
鎌倉時代作の四天王寺像と共にゆっくり堪能した後は、境内奥の三重の塔まで、途中の阿字池の周辺など四季折々の花々を愛でながら散策する。
一番奥に位置する三重の塔は、最初淳和天皇の時代の創建で、その後承久の変で破損したものを再建したと言われる。重要文化財だ。現在は、平成の大修理で見事な極彩色を取り戻しており広い敷地でも存在感を発揮している。中には入れないが、下から見上げて偉大さを実感して、開山堂・身代わり地蔵・などを巡りながらゆっくり降りてくる。
国宝こそないが、歴史的に見どころの多い貴重な寺だ。
因みに登場した天皇を、系図で示す。
桓武 ― 平城
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嵯峨 ― 仁明 ― 文徳 ― 清和 ― 陽成
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淳和 光考 ― 宇多 ― 醍醐 ― 村上