アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

62 アチャコちゃんの京都日誌

2017-05-23 07:01:07 | 日記

62   アキレス腱つながったが、すぐに歩けない。

 

リハビリの毎日だ。前日と比べれば前進していると思うが、歩き方はぎこちない。この土日は一歳半の孫が来ていて散歩について行くのが励みにもなりちょうど良い。段差を上がる脚力は現在は孫に劣る。従って、目標は「孫」である。

 

等持院に行った。何度か訪れた。最近の話だ。

 

京都では歴史上の人物のゆかりの名所を訪ねるのも楽しい。秀吉の醍醐寺や豊国神社。小野小町の随心院や退耕庵。菅原道真ゆかりの各天神さん。

その中で、足利尊氏は人気が低い。義満の金閣寺や義政の銀閣寺は誰でも知っているが、よほどのマニアでないと等持院は訪れない。(しかし知る人ぞ知る名園だ)明治維新後、歴史検証の中で南北朝時代の南朝側が正当な系統とされ、南朝側の楠正成や新田義貞などが英雄視される一方、尊氏は逆賊扱いを受けて来た。NHK大河ドラマでも真田広之という当代の人気者が演じても評価は、高まらなかった。

平家物語の源平合戦の様に単純ではない太平記は、あまり純粋な善人の登場が少ない。後醍醐天皇も扱いは難しい。中でも尊氏の評価は厳しい。「優柔不断」「裏切者」「冷酷者」「戦争が下手」など、実質弟の直義が仕切っていたが、その直義と決定的に対決するものの、頼朝が義経を成敗するような絶大な力もなかった。

 

等持院はその足利家の菩提寺だ。京都北部の衣笠にある。以前は広大な敷地を誇っていたのだろうが、資金的な問題もあって、大部分を立命館大学に譲っている。借地なのかどうか?境内に住宅地となっている個所もあり訪ねるとややがっかりする。最大のがっかりは、庭園の景観の向こうに立命館の校舎が見える事だ。校舎建設時、学校側にも配慮をして欲しかった。(そこで受験した事がある。しかも落とされた)

「尊氏」の画像検索結果

それでも、心字池と芙蓉池を中心にした回遊式庭園は、初夏の半夏生など見どころの多い名園だ。清蓮亭と名付けられた茶室は、義政好みで秀逸だ。そして、霊光殿内には、歴代足利将軍の実物大の木造がまつられている。ほとんどの将軍は、実権がなく一般人には有名でもない。苦難の足利政権時代を象徴して将軍たちの表情が趣深い。少年のまま就任し若くして死した将軍は、幼い表情に哀れすら感じる。

国宝も重要文化財もあまりないお寺だが、方丈廊下から庭を眺めながらお薄をいっぷく頂いていると、さしたる才能を持たない男が、源氏の名門に生まれたばかりに足利得宗家として征夷大将軍に祭り上げられた人物の苦労を思う。諸説あるが、秀吉や家康のように狙って天下を取ったのではなかったのだ。

帰路、境内墓地に大きな人物像が立っている。振り返りよく見ると、マキノ省三像。ここは活動写真の初期の時代の撮影場所だったのだ。日本映画の父。マキノ省三の墓がある。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする