63 アキレス腱つながったが、歩けない。
途中からの読者の為の続編。自宅での療養生活は過酷を極めた。不自由さに加えて配偶者との確執が表面化する。以下は、当時の書き込み!
「足の痛みは、心の痛みに変わって来た。配偶者に伝えねばならない。頭の中で何度もシュミレーションする。『なんでアキレス腱切ったの❔』『その年で、テニスする馬鹿がいる❔』『歩けなくなっても知らんよ。』『家に帰っても面倒目れないからそのまま入院していて。』こんなやり取りが想定された。意を決して、TELすると、案の定、第一声『ええつ!3月期末の忙しい時に、帰って来られても迷惑なので入院しておいてください。』確かに、企業人なら期末の忙しさは理解できる。しかしこちらは申訳がないと思いつつ、仕方なく自宅に帰ろうと思ったのだ。入院してもなんの治療もすでになく、保存療法(アキレス腱は手術して繋げる方法もあるが、最近はそのまま固定して自然に繋がるのを待つ方法が主流らしい。)従って、自宅安静しか方法はないのだ。遂に吾輩も切れた。『もういい!お前には頼まない。馬鹿野郎!』啖呵を切ってしまった。難民となった瞬間だった。
アキレス腱だけではなく、夫婦の関係も断絶したのだ。足が痛い。心が痛い。鎮痛剤3倍飲んだけど効かなかった。」
頂妙寺に行って来た。元気に動きまわってた数年前だ。
その昔、室町時代中頃には洛中には日蓮宗が隆盛を極めていた。「皆法華」と言われた時代だ。主要なお寺が21あり、「洛中法華21箇本山」が日蓮宗の繁栄を支えた。しかし、一度全部焼き払われた。
天文法華の乱。法華宗の側から言えば、天文の法難。日蓮衆も門徒(浄土真宗)も庶民に人気を得た為に時の権力者や仏教界の権威である比叡山からは、迫害を受ける。しかも昔は、お寺というものが決して平和的な存在でなく、武装集団だったのだ。この法難の結果、洛中の法華寺院はすべて焼かれた。そして、洛中から法華衆は追放された。その後、15寺が復活していてその一つが、ここ頂妙寺だ。
南から一直線に、山門・仁王門・大本堂と並ぶ。観光バスが何台も停まる大きな駐車場が北方にあるので、団体さんは本堂の裏から入るが、ここは是非、正面仁王門からお参りしたい。町名にある「仁王門通り」は、これに由来する。広い大本堂の中の「日蓮聖人像」を宗派を超えて拝むと民間宗教の苦難の歴史を感じる。特別公開の有名な俵屋宗達の「牛図」二幅の内一幅を見た。(もう一幅は来週)たらし込みという技法で牛の筋肉の躍動感を表わしている。我々がよくやる単なる「にじみ」だが、宗達がやると芸術になる。
境内の多くのお堂を丁寧にめぐって帰路についた。