久しぶりに石碑シリーズ。
法成寺跡。
御存じ「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることのなしと思へば」と謳った藤原道長の創建の寺だ。
「京極御堂」と言われ、摂政御殿でもあった。晩年道長を「御堂関白」と言うのはここから来ている。
場所は、ずばり鴨沂高校、寺町通の御所の真東。
本尊の九体阿弥陀如来を建立しその仏と糸で結ばれながら往生したらしい。
往生思想が流行したその頃、9体阿弥陀仏は京都にはいくつかあったようだが、
今は木津の浄瑠璃寺のものだけだ。
栄耀栄華を極めた道長の寺も、なぜか今は碑を残すのみだ。息子の頼道が再興したが、
遂にその後は、これだけの壮大な寺は再建されなかった。
後白河上皇の法住寺と対照的だが、摂関家と天皇家の違いか。
因みに、鴨沂高校も旧校舎は取り壊され広い校庭が見渡せる。
時の天皇は、一条天皇、妃に仕えていた紫式部・和泉式部や清少納言達が活躍した
日本古典文学の発祥の時代でもある。
花山天皇を陰謀により譲位させ、娘の子である一条天皇を即位させたのが、父兼家。
息子道長も数ある兄弟を始め、多くの政敵を陥れて来た。
晩年、怨念を恐れつつ阿弥陀如来に一心に往生を願う姿は、むしろ哀れでしかない。
すぐ南には、同志社発祥の地。新島襄先生寓居跡の石碑も。