北朝鮮が不穏な動きだが、なぜか世の夫婦関係に思えてならない。
決して戦争(離婚)する気がないのに、お互い舌戦凄まじく言い合うのだ。
夫婦でどちらが北朝鮮でどちらがアメリカかそれぞれ事情があろうが、
我が家における北朝鮮は、申すまでもなく私だ。
弱いくせに主人として虚勢を張っている。まして無給となった今。
ミサイル?の性能は回復不可能?発射どころか立たない。(なんの話だ。)
と、なった今は、核武装するしかない。加えて、会社を離れると同盟国(友人)も少ない。
あらゆる挑発は、有利な交渉条件を引き出すための作戦でしかない。
北は、核兵器を保有したと言うが、本当かどうか分からない。
しかもミサイル実験は、相手のいない方向に拳を打ち込んでいるだけだ。
私は拳を振り上げる勇気すらない。
夫婦関係も似ている。
決定的に争う気はない。自分に注目を集めたいだけだ。
特に男は、議論したがるが、女は理屈で話す気はない。好き嫌いの判断こそが最重要だ。
小池百合子嫌い。小泉孝太郎は好き。そこに論理的根拠はない。しかし男は、そこに解説を入れてしまう。
つい理屈をこねるのだ。
もう、女は聞いちゃいない。
女同士は、同時に二人以上しゃべっても会話は成立する。
例えば、男同士なら、
A「今日は暑いね。」
B「でも、今は暑いけど平均気温より低いし、寒冷前線の影響で午後はもっと涼しくなるよ。」
A「そうですか。詳しいね。」
これが女性同士ならこうなる、
A「今日は暑いわね。」
B「そうね、暑いね。」
A「けど例年よりは低い温度らしいわ。」
B「そう言えば涼しいね。」
A「ちょっと蒸すけどね。」
B「そうね、蒸し暑いわね。」
A「まあ、このくらいがちょうど良いけど。」
B「うん、ちょうど良いね。」
ってな感じだ。つまり議論はしない、同意を求めているだけ。聞いていれば良いのです。
北朝鮮もまずは、聞いてやれば良いのではないか。
受け入れることが出来るかどうかは、向こうも分っているだろう。約束しなければ良いだけだ。
会話の門戸は閉じてはいけない。制裁は当然に必要だが、会話の逃げ道は大きく広げてやってくれ。
まあ、夫婦なら結局、同衾すればわかり合えるが、国同士の肉体関係は難しい。
我々世代の夫婦は、肉体関係で分かり合うことも出来ない。(週刊ポストによると元気な夫婦も多いらしい。)
国際問題と同じ難しさが、ここにある。国の税金で配ってくれ、「バイアグラ」!!
さて、洛中33か所観音霊場巡りを再開。(今日の展開は難しい)
18番 善能寺
京都の南西、泉山のふもと、泉涌寺の塔頭寺。
泉涌寺道は、何度通った事だろう。緩やかな上り坂の途中に、即成院、戒光寺、今熊野観音寺など
重要なお寺がある。
この先を、左に曲がれば、今熊野観音寺、来迎院。分かれ道の左は泉涌寺御陵参道、
右は泉涌寺大門方向。
善能寺は、御陵参道途中にある無人のお堂だ。
本堂は、祥空殿と言う。
空海の創建なので平安初期と歴史は古い。
平城天皇が建立し後奈良天皇が再興移転した。
このお寺の特徴は、航空事故の犠牲者を弔っていることだ。
昭和46年、函館空港に着陸寸前のYS11型機が墜落した。乗客乗員全員が死亡した。
その遺族の篤志家谷本氏が、航空事故犠牲者の慰霊と事故の絶無を祈願したのだ。
京都の凄いのは。古い歴史と今の歴史を、連綿と今に繋いでいる事だ。
境内は狭いが、時代を感じる佇まいが伺える。泉涌寺の帰りにはぜひ立ち寄って貰いたい。