今朝の新聞によると、足元をすくわれる は、 足をすくわれる が、正しい。
話のさわりとは、話の始まり部分ではなく、要点の事。 なのだそうだ。
存亡の危機 は、 存続の危機 なのだそうだ。悲しいかな私自身も誤用している。
安心したのは、総理大臣などの演説でも誤用が目立つらしい。つまり、誤用が大半を占めて誤解がなければ
それは新しい理解だと思うしかない。文化庁もそのような見解のようだ。
因みに、ネットで調べると以下のように多くの例が掲載されている。
- 顰蹙を買われる→顰蹙を買う
- 合いの手を打つ→合いの手を入れる
- 脚光を集める→脚光を浴びる
- 顔の皮が厚い→面の皮が厚い
- 印籠を渡す→引導を渡す
- 頭を傾げる→首を傾げる
- 熱にうなされる→熱に浮かされる
- 采配を振るう→采配を振る
- 間が持たない→間が持てない
- 物議を呼ぶ→物議を醸す
- 足下をすくわれる→足をすくわれる
- 雪辱を晴らす→雪辱を果たす
- のべつくまなし→のべつまくなし
- 目鼻が利く→目端が利く
印籠を渡す? そんなこと言う人いるの??
人のふり見て わが振り 直せ は、 後世
人の不倫見て わが不倫 やめろ
と、なるだろう。??
27番 因幡薬師堂 平等寺
京都になぜ、因幡?平安の初期、橘行平と言う貴族が、因幡の国に赴任した。帰国する時になって病になった。
そこで神仏に祈願したところ近くの川に光る薬師如来を見つけ、後に京都に迎える約束をしたら病気が治ったと言う。
京都に戻り、その事を忘れていたらある夜、虚空を飛んで薬師如来が、高辻烏丸の自宅を訪れた。
驚きすぐに堂を作りおまつりしたのが、ここ因幡薬師堂だ。
その後、薬師如来の信仰の効果が絶大であるとの噂から、六角堂・革堂と並ぶ、町堂として賑わった。
本堂正面の通りは、その昔、安徳天皇の父、高倉天皇の住まいの正面方向に当たり、
恐れ多いと門を決して開けなかった。その為、この通りを「不明門通(あけずのもんどおり)」と言う。
写真に撮れなかったが、本堂前に「贔屓」なるものが展示されていた。
贔屓を、屋根の瓦に置いていたと言う。「贔屓」とは、龍が生んだ9つの神獣の一つで、姿は亀に似ている。
この贔屓、率先して重いものを持つのが特徴。
人の苦労を引き受けたり、ある人をことさら可愛がることの「ひいきにする」の語源だ。
中国では、寺などで基礎になる柱の下に使われる。
贔屓の引き倒し。は、まさにこの基礎石を引っ張って建物を引き倒す事に他ならない。
他人のHPで見つけました。
因幡堂の「贔屓さん」宝珠を背負ってます。(おそらく如意宝珠)
中国ほど重くはないが、大きな責任を背負っているのだろう。
私も贔屓して欲しい。!!!