比叡山の千日回峰行に成功した人が出た。(これがどれほど凄い事か、報道では伝わらない。)
記録に残る中で51人目。戦後14人目だと言う。(この場合の戦後とは太平洋戦争)
織田信長が比叡山を焼き討ちにして記録も含め全部焼失した為、その後の記録しかない訳だが、
500年余りで51人だから10年に一人のまさにまれに見る快挙だ。
これを快挙と言う表現で良いのか、最高の尊敬の念で称えるべきと考える。
オリンピックの金メダルをあれほど話題にすることに比べれば地味すぎるのではないか?
商業的な要素はなく、アスリート的な野心はない。
何が凄いか。1000日の修行は、実際には975日かけて行われる。残り25日分は一生かけて行へと言う意味らしい。
まず、比叡の山中を30㌔ほど260か所の礼拝場所を巡り6時間余りかけて行く。
深夜2時に出発するこの行を、3年目までは年に100日、その後5年目までは200日、計700日行う。
どんなアスリートでも山道を30㌔2日に一度のペースで5年間行えるか。しかも途中脱落は許されない。
行者は、短剣と紐を携帯し修行を断念する場合は、自ら自害する。自害する体力もなければ紐で首をくくり縊死する決まりだ。
懐には埋葬に必要な金銭のみ携行している。
これを満行すると、いよいよ最も過酷な「堂入り」が待っている。
不動明王をまつる明王堂に、足掛け9日間籠る。その間10万回のお経を唱え続けると言う。
行者は、事前に自らの葬式を終えて入る。不眠・不臥・断食・断水で、経を唱え続ける。
これを終えて、堂から出て来ると「阿闍梨」と呼ばれ、大勢の信者に迎えられる。
何人かの僧に抱きかかえられ死人のような表情で出て来るのだ。ここまでが自分の為の修行だと言う。(自利行)
そしてこれ以降は、衆生を救うため(他利行)の修行に入る。
6年目、60キロの行程になり100日行う。
7年目、年間200日間の内100日を、京都大廻の平場84キロの行程と、
あと100日は山中の30㌔余りの行程を巡る。
この度、その975日の満行者が出た。
その後2~3年以内に100日の五穀絶ちと7日間の断食を護摩行と共に自らの決断にて行う。
(これを火あぶりと言うらしい)
975日終了したところで、「北嶺大行満大阿闍梨」と呼ばれる。
これだけ文明が進んだ現代に、この事にどれほどの価値があるのだろうか。
地位や金銭を求めるのならこの苦労は、何も得られない。しかし命を懸けて行う僧がいるのだ。
宗教的プロパガンダ的側面も否定しないが、並大抵のことではない。
テレビでは、それでも豊田議員の「このハゲ―。」がまだ流されている。
宗教上の事なので取り上げにくいのか。マスコミのモラルを疑う。
個人的に英雄視してはならないが、大衆にもっと報道されるべきニュースだと思うのだが?
洛陽33所は、22番に来た。 城興寺
誠に地味なお寺だ。四国88か所や西国33か所にも、マイナーなお寺がある。
しかし、特に語るべき遺跡などなかった。ただ、藤原氏の歴史検証には重要なお寺だ。
藤原道長の九条殿が始まりと言われる。先の法性寺殿と同じく、摂関家の藤原氏の隆盛がうかがえる。
従って、歴史的価値は十分にあると思われる。
御本尊は、円仁(慈覚大師)の時代のものなので時代は平安初期にさかのぼる。
円仁は山門派の祖。
下の写真には、成興寺となっている。城ではない?
京都地下鉄、九条駅すぐにあるが、マンションの大きな壁に挟まれたお寺であった。