エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

清澄白河地域は面白い・・・滝沢馬琴、松尾芭蕉、相撲部屋

2011年02月26日 | 日記
「清澄庭園」周辺は散歩してみると面白いのである。

松尾芭蕉の庵跡がある。
あの南総里見八犬伝の滝沢馬琴の生家跡がある。
いまもっともホットな相撲部屋が集まっている。

周囲は堀が走り、かつての水の都を彷彿とさせるのである。



清澄庭園を中心に、こんな按配である。
今日は滝沢馬琴について語ろう。



滝沢馬琴である。

寛政4年(1792年)3月、耕書堂・蔦屋重三郎に見込まれ、手代として雇われることになった。
そもそも武士であった馬琴は、商人に仕えることを恥じ武士としての名を捨て、通称を瑣吉に、諱を解に改めたのであった。



馬琴の生家跡のモニュメントである。

滝沢馬琴という名前は、明治以降の言われたものであって本来「曲亭馬琴」と号していたのである。
馬琴自身は「曲亭馬琴」という筆名について、中国の古典から取ったと説明している。
しかし「曲亭馬琴」は「くるわでまこと」(廓で誠)、すなわち遊廓でまじめに遊女に尽くしてしまう野暮な男という意味であるとも指摘されているのである。

馬琴は墓の中で笑っているかもしれない。
「勝手に人の名前を語るなよ!」
と・・・。

ところで「南総里見八犬伝」の執筆には、文化11年(1814年)から天保13年(1842年)までの28年を費やし、馬琴のライフワークとなったのであった。

発行元は当然、耕書堂・蔦屋重三郎である。



この写楽を世に出した敏腕発行元である。

相撲部屋で言えば名横綱・大鵬が起こした「大嶽部屋」を始めとして「しころ山部屋」「尾車部屋」「北の湖部屋」が集まっている。



大嶽部屋である。
「大鵬道場」の看板が横に架かっている。



しころ山部屋である。



尾車部屋である。



北の湖部屋である。

いま、国技としての大相撲の屋台骨が揺らいでいる。
過去の過ちは潔く明らかにして、出直してほしいものである。

ぼくもまた大相撲の大ファンなのである。




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                     荒野人



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