ファチマの聖母の会・プロライフ

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クリスマスツリーの本当の歴史

2021年12月19日 | カトリック
白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんの動画をご紹介します。
※この動画は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております



『昔のクリスマスの話』

Isabelle de Saizieu編

クリスマスツリーの本当の歴史


クリスマスツリーがアルザス地方に生まれたことは歴史家たちの間に通説となっている。というのも、クリスマスツリーを明確に記している一番古い歴史資料は1492年のストラスブール市と1521年のアルザス地方の中央にあるSélestat市に見られるからである。また、1555年と1557年のSélestat市に保管されている本にもクリスマスツリーの話が一部でている。

これらの史料を分析すると、「クリスマスツリー」の伐採は規定化されていたことがわかる。また、Sélestat市がご降誕の祭日の数日前から、森林の監視人を雇い、クリスマスツリーの伐採と窃盗を防ぐため、これらの木の番をしていた(昼間だけではなく、冬の長い寒い夜も含めて)こともわかる。

これらの木は必ずしもモミの木ではなかった。古い版画を見ると、クリスマスツリーにしていた広葉樹もあることがわかる。冬になって葉はなくなっているから、その代わりに葉を真似したリボンで飾っている。しかしながら、現代と同じく、多くの場合は広葉樹よりもモミの木の方が使われていた。というのも、モミの木は冬になっても美しい緑色の松葉がいつもあるからであった。
一番好まれたのは「トウヒ」の木だった。このモミの木こそは「アルザス地方のモミの木」であるからである。

読者はクリスマスツリーの話をするとき、もしかしたら「これはプロテスタントの伝統だから、カトリック家庭には入れてはいけない」と言われたことがあるかもしれない。


このような人によると「カトリックの家庭で小屋を置いていることを見たプロテスタントらはカトリックと区別するためにモミの木を置いた」と言われたりする。ところが、本当にそうだったのなら、カトリックの事業としてストラスブールの大聖堂の修理と世話を担当していた「ノートルダムの会」が、1492年、ストラスブールにある九つの小教区のため、九本のモミを買ったのはなんのためだったのであろうか?

プロテスタント改革は1517年に生まれたというのに、それ以前にモミの木が使われたということになる。だから、モミの木はプロテスタントの発生以前からあるということになるので、カトリックとしてモミの木を置くのはなんらおかしいことではない。もちろん、馬小屋が第一の位置に置かれて、モミの木は馬小屋の第二の立場においてあるのは当たり前であるが。

さて、クリスマスツリーの起源はアルザス地方にあるのなら、我らの主、イエズス・キリストのご降誕の祝日の時、一体なぜモミの木を飾るであろうか?

先祖がクリスマスツリーを飾ったのは御托身の玄義とご贖罪の玄義を記念するためである!
現代、時にみられるピカピカの飾りをいったん忘れて、アルザス地方の家に昔から伝えられる古典的な飾り方を見ると御托身の玄義とご贖罪の玄義を記念するために飾られたということがよくわかる。


第一に、モミの木は楽園にある「命の木」を象徴することを思い出そう(注・モミの木はずっと葉を持っているから不死身を象徴している)。そして、木の一番低い枝に飾るのはアダムとイヴの表象となる。よく色付いた綺麗な絵を飾る。人祖の夫婦の上の枝に、収穫の時に大切に保管された一番綺麗な赤いリンゴを枝に吊る。この赤いリンゴは食べてはいけなかった木の実を象徴して、我々の人祖が犯した原罪を想起させる。

また、12月末になっても他に保管された美しい新鮮なリンゴをツルツルになるように拭いて、何個もモミの枝に吊る。これらのリンゴは楽園のいと多くのおいしい果物を象徴する。これらの果物と一緒に、折り紙でも、紙からあるいは鉄からあるいは結晶からの鳥を吊る。これらはもちろん、楽園での美しくさえずる多くの鳥を象徴する。

しかしながら、アダムとイヴは原罪の罰として楽園から追放されて、天国に入れなくなったところ、顔の美しい天使が現れた。だから、モミの木の一番高い枝には天使を吊る。この天使は救い主が送られる御約束を人祖に(そして我々に)父なる天主が約束し給うたことを想起させる。

ところが、ご降誕の喜びの内に、天主の至上の我々への御愛とご受難と十字架上の御死によってこそ我らを贖い給うたことを忘れてはいけない。そのために、モミの木の枝にミサ用のパンを飾る(つまり御聖体ではなく、聖変化されていないホスチアである)。それは、我らのために天国の門を開ける贖罪の玄義を想起させる。

さてさて、幼きイエズスのご降誕を祝う時の数時間前になった(アルザス地方では、クリスマスツリーを置いて飾るのはクリスマスを待つ24日の前夜祭のミサの前の時である)。モミの木の天辺には星を飾ろう。この星は小屋の空に輝いている星で、長い旅をやってきた三人の博士を導く星である。

最後に、昔はモミの木をアルザス風の家の中央部屋、stubb(家族全員が常に集まっていた場所である)の天井に吊る。あるいは、馬小屋の後ろに置く。そして、間もなくクリスマスになるので、多くの蝋燭を灯して枝につる(注・これはイルミネーションの起源である)。



このようにクリスマスの夜、イエズス・キリストはお生まれになった時、幾百万の天使がきて、毎回のミサの時と同じく、「いと高き天においては神に光栄あれGloria in excelsis deo」と歌うことを想起させるのである。

  


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