シスター・ルシアの手記の日本語訳(続き)
ポルトガル語原文は次で読めます。
MEMÓRIAS DA IRMÃ LÚCIA I
Compilação do P.e Luís Kondor, SVD, 13ª edição, Outubro de 2007
英語訳は次にあります。
FATIMA in Lucia's own words (Sister Lucia's Memoirs)
Edited by FR. LOUIS KONDOR, SVD., 16th edition, July 2007
フランス語訳は次にあります。
MEMOIRES DE SŒUR LUCIE
Textes édités par le Père Louis Kondor, SVD, Septième édition, septembre 2008
この日本語訳は「ファチマの聖母の啓示 現代の危機を告げる ルチア修女の手記」(ヴィットリオ・ガバッソ/志村辰弥編)1987年/ドン・ボスコ社を参考にしました。
5. 聖母からの訪問を受ける
もう一度、聖母マリア様はジャシンタを訪問して、ジャシンタに新しい十字架と犠牲が待っているということを教えて下さいました。ジャシンタはそのニュースを私にこう教えてくれました。
「マリア様は、私がリスボンへ行って別の病院に行くことになるだろうって、もうルシアちゃんと会えなくなるって、お父さんともお母さんとも会えないって、たくさん苦しんだ後ひとりぼっちで死ぬんだって、教えてくれたの。でもマリア様は、恐れてはいけませんよって、何故ならマリア様が私を天国に連れて行くためにいらっしゃるからって言ったの。」
ジャシンタは私に抱きついて泣きました。
「私、もう二度とルシアちゃんと会えない!ルシアちゃんは私のところに来てくれないの。ねぇ、お願い!私のためにたくさんお祈りして。たったひとりぼっちで死ぬんだから!」
ジャシンタはリスボンに発つ日まで極めてひどく苦しみました。彼女は私から離れずにすすり泣いて言いました。
「私、もう二度とルシアちゃんと会えない!お母さんとも会えないの!お兄さんたちとも!お父さんとも!もう二度と誰とも会えないの!それから、ひとりぼっちで死ぬの!」
ある日私はジャシンタにアドバイスしました。
「そのこと考えるのやめなさい。」
「そのこと考えさせて。考えれば考えるほど、私、辛いの。イエズス様への愛のために、罪人たちのために、苦しみたいの。でも、大丈夫。マリア様がそこで私のもとに来て、天国に連れて行って下さるから。
時折、ジャシンタは十字架像に接吻してそれを抱きしめました。そしてこう叫ぶのです。
「ああ、イエズスよ、御身を愛し奉る!御身を愛するために苦しみたい。」
ジャシンタが「あぁ、イエズス様!これは本当に大きな犠牲だから、今、多くの罪人たちを回心させることができます!」と何度たびたび言ったことでしょうか!
時々、ジャシンタは私にこう尋ねました。
「隠れたイエズス様を受けずに、私、死ぬのかな?マリア様が私を迎えに来られるときに、マリア様がイエズス様を私のところに持ってきて下さるなら良いのに!」
ある日、私はジャシンタにこう聞きました。
「天国でジャシンタちゃん何するの?」
「私ね、イエズス様をたくさん愛するの。聖母の汚れなき御心も愛するの。ルシアちゃんのためにお祈りする。罪人たちのために、教皇様のために、お父さんやお母さんやお兄さんやお姉さんたちのために、お祈りしてって私にお願いした人みんなのために、お祈りする。」
彼女の母親がこの子供があまりにも病気なのを見て悲しんでいると、ジャシンタは良くこう言いました。
「お母さん、心配しないでね。私、天国に行くの。天国でお母さんのためにたくさんお祈りするから。」
或いはこうも言いました。
「泣かないで。私、大丈夫だから。」
もしも何か必要なものがあるかと聞かれると、ジャシンタはこう答えました。
「ありません。ありがとう。」
彼らが部屋を出て行くとジャシンタはこう言うのです。
「私、喉が渇いた。でも飲みたくないの。イエズス様に罪人たちのためにお捧げしているの。」
ある日、私の叔母が私にたくさんの質問をしました。ジャシンタは私を自分のところに呼んでこう言いました。
「ルシアちゃん、誰にも私が苦しんでいるって言わないでね。お母さんにも言っちゃだめよ。お母さんを怒らせたくないの。」
別の機会には、ジャシンタが聖母の御影を胸に押しつけてこう言っているのを見つけました。
「あぁ、私のとっても愛する天国のお母様、私、ひとりぼっちで死ななければならないの?」
かわいそうなこの子は、孤独のうちに死を迎えるという考えに非常に恐れをなしているようでした。
私は、ジャシンタを力づけようと試みてこう言いました。
「ジャシンタちゃんが一人で死んだとしても、一体何で怖がるのよ。マリア様がお迎えに来て下さるんでしょう?」
「本当ね。怖がることないね。ホント。何でか分からないけれど、私、時々マリア様がお迎えに来て下さるって言うこと忘れちゃうの。私、ただルシアちゃんが私の近くにいなくて死んでしまうって事だけを思い出すの。」
6. リスボンへと発つ
ついにジャシンタがリスボンへと行かなければならない日がやって来ました。[注22]それは心の張り裂けそうな別れでした。長い間、ジャシンタは腕を私の首の周りに回して離れませんでした。すすり泣きをしながら「私たちはもう二度と会えないね!私が天国に行くまで、私のためにたくさんお祈りして。そしたら天国で、ルシアちゃんのためにたくさんお祈りする。秘密を誰にも言っちゃダメ。たとえ殺されてもダメ。イエズス様と聖母の汚れなき御心をたくさん愛して、罪人たちのために多くの犠牲をして。」
リスボンから、ジャシンタは私に、聖母がリスボンでジャシンタに会いに来られたと言ってよこしました。聖母はジャシンタに何月何日のいつ死ぬかを教えてくれた、と。それからジャシンタは私に、いつも良い子でいるように、言ってくれました。
[注22]1920年1月21日、ジャシンタはリスボンに連れて行かれ、エストレラ通り17番にあるゴディニョ修母による経営の孤児院に入院した。2月2日、ジャシンタはドナ・エステファニャ病院に連れて行かれ、そこで1920年2月20日午後10時30分に死亡した。
第一の手記の結び
私は今、司教様にあてた、ジャシンタの生涯の思い出について書き終わりました。天主様が、この従順の行いを受け入れて下さいますように祈ります。それは、イエズスとマリアの聖心に対する愛の炎を人々の心に灯すためです。
私は司教様に、一つのことをお願いしたいと思います。もし、司教様が、私が書いた物から何かを出版する場合に[注23]、貧しいみじめな私が書いたものだとは、何も言わないようにそうして下さることをお願いしたします。また、司教様がこれを読みすらしないでこれを焼き捨てたということを私が知るようになったとしても、私は大変うれしく思う、と告白いたします。何故なら、私は、司教様のはっきりした御旨を通して私たちに知らされた天主様の御旨への従順のためだけにこれを書いたからです。
[注23] ルシアのこの第一の手記にある思い出は、ヨゼフ・ガランバ・デ・オリヴェイラ博士により使われて、1938年5月、「ファチマの花、ヤシンタ」という題で出版された。
ポルトガル語原文は次で読めます。
MEMÓRIAS DA IRMÃ LÚCIA I
Compilação do P.e Luís Kondor, SVD, 13ª edição, Outubro de 2007
英語訳は次にあります。
FATIMA in Lucia's own words (Sister Lucia's Memoirs)
Edited by FR. LOUIS KONDOR, SVD., 16th edition, July 2007
フランス語訳は次にあります。
MEMOIRES DE SŒUR LUCIE
Textes édités par le Père Louis Kondor, SVD, Septième édition, septembre 2008
この日本語訳は「ファチマの聖母の啓示 現代の危機を告げる ルチア修女の手記」(ヴィットリオ・ガバッソ/志村辰弥編)1987年/ドン・ボスコ社を参考にしました。
第一の手記
III. ジャシンタの病気と死
III. ジャシンタの病気と死
5. 聖母からの訪問を受ける
もう一度、聖母マリア様はジャシンタを訪問して、ジャシンタに新しい十字架と犠牲が待っているということを教えて下さいました。ジャシンタはそのニュースを私にこう教えてくれました。
「マリア様は、私がリスボンへ行って別の病院に行くことになるだろうって、もうルシアちゃんと会えなくなるって、お父さんともお母さんとも会えないって、たくさん苦しんだ後ひとりぼっちで死ぬんだって、教えてくれたの。でもマリア様は、恐れてはいけませんよって、何故ならマリア様が私を天国に連れて行くためにいらっしゃるからって言ったの。」
ジャシンタは私に抱きついて泣きました。
「私、もう二度とルシアちゃんと会えない!ルシアちゃんは私のところに来てくれないの。ねぇ、お願い!私のためにたくさんお祈りして。たったひとりぼっちで死ぬんだから!」
ジャシンタはリスボンに発つ日まで極めてひどく苦しみました。彼女は私から離れずにすすり泣いて言いました。
「私、もう二度とルシアちゃんと会えない!お母さんとも会えないの!お兄さんたちとも!お父さんとも!もう二度と誰とも会えないの!それから、ひとりぼっちで死ぬの!」
ある日私はジャシンタにアドバイスしました。
「そのこと考えるのやめなさい。」
「そのこと考えさせて。考えれば考えるほど、私、辛いの。イエズス様への愛のために、罪人たちのために、苦しみたいの。でも、大丈夫。マリア様がそこで私のもとに来て、天国に連れて行って下さるから。
時折、ジャシンタは十字架像に接吻してそれを抱きしめました。そしてこう叫ぶのです。
「ああ、イエズスよ、御身を愛し奉る!御身を愛するために苦しみたい。」
ジャシンタが「あぁ、イエズス様!これは本当に大きな犠牲だから、今、多くの罪人たちを回心させることができます!」と何度たびたび言ったことでしょうか!
時々、ジャシンタは私にこう尋ねました。
「隠れたイエズス様を受けずに、私、死ぬのかな?マリア様が私を迎えに来られるときに、マリア様がイエズス様を私のところに持ってきて下さるなら良いのに!」
ある日、私はジャシンタにこう聞きました。
「天国でジャシンタちゃん何するの?」
「私ね、イエズス様をたくさん愛するの。聖母の汚れなき御心も愛するの。ルシアちゃんのためにお祈りする。罪人たちのために、教皇様のために、お父さんやお母さんやお兄さんやお姉さんたちのために、お祈りしてって私にお願いした人みんなのために、お祈りする。」
彼女の母親がこの子供があまりにも病気なのを見て悲しんでいると、ジャシンタは良くこう言いました。
「お母さん、心配しないでね。私、天国に行くの。天国でお母さんのためにたくさんお祈りするから。」
或いはこうも言いました。
「泣かないで。私、大丈夫だから。」
もしも何か必要なものがあるかと聞かれると、ジャシンタはこう答えました。
「ありません。ありがとう。」
彼らが部屋を出て行くとジャシンタはこう言うのです。
「私、喉が渇いた。でも飲みたくないの。イエズス様に罪人たちのためにお捧げしているの。」
ある日、私の叔母が私にたくさんの質問をしました。ジャシンタは私を自分のところに呼んでこう言いました。
「ルシアちゃん、誰にも私が苦しんでいるって言わないでね。お母さんにも言っちゃだめよ。お母さんを怒らせたくないの。」
別の機会には、ジャシンタが聖母の御影を胸に押しつけてこう言っているのを見つけました。
「あぁ、私のとっても愛する天国のお母様、私、ひとりぼっちで死ななければならないの?」
かわいそうなこの子は、孤独のうちに死を迎えるという考えに非常に恐れをなしているようでした。
私は、ジャシンタを力づけようと試みてこう言いました。
「ジャシンタちゃんが一人で死んだとしても、一体何で怖がるのよ。マリア様がお迎えに来て下さるんでしょう?」
「本当ね。怖がることないね。ホント。何でか分からないけれど、私、時々マリア様がお迎えに来て下さるって言うこと忘れちゃうの。私、ただルシアちゃんが私の近くにいなくて死んでしまうって事だけを思い出すの。」
6. リスボンへと発つ
ついにジャシンタがリスボンへと行かなければならない日がやって来ました。[注22]それは心の張り裂けそうな別れでした。長い間、ジャシンタは腕を私の首の周りに回して離れませんでした。すすり泣きをしながら「私たちはもう二度と会えないね!私が天国に行くまで、私のためにたくさんお祈りして。そしたら天国で、ルシアちゃんのためにたくさんお祈りする。秘密を誰にも言っちゃダメ。たとえ殺されてもダメ。イエズス様と聖母の汚れなき御心をたくさん愛して、罪人たちのために多くの犠牲をして。」
リスボンから、ジャシンタは私に、聖母がリスボンでジャシンタに会いに来られたと言ってよこしました。聖母はジャシンタに何月何日のいつ死ぬかを教えてくれた、と。それからジャシンタは私に、いつも良い子でいるように、言ってくれました。
[注22]1920年1月21日、ジャシンタはリスボンに連れて行かれ、エストレラ通り17番にあるゴディニョ修母による経営の孤児院に入院した。2月2日、ジャシンタはドナ・エステファニャ病院に連れて行かれ、そこで1920年2月20日午後10時30分に死亡した。
第一の手記の結び
私は今、司教様にあてた、ジャシンタの生涯の思い出について書き終わりました。天主様が、この従順の行いを受け入れて下さいますように祈ります。それは、イエズスとマリアの聖心に対する愛の炎を人々の心に灯すためです。
私は司教様に、一つのことをお願いしたいと思います。もし、司教様が、私が書いた物から何かを出版する場合に[注23]、貧しいみじめな私が書いたものだとは、何も言わないようにそうして下さることをお願いしたします。また、司教様がこれを読みすらしないでこれを焼き捨てたということを私が知るようになったとしても、私は大変うれしく思う、と告白いたします。何故なら、私は、司教様のはっきりした御旨を通して私たちに知らされた天主様の御旨への従順のためだけにこれを書いたからです。
[注23] ルシアのこの第一の手記にある思い出は、ヨゼフ・ガランバ・デ・オリヴェイラ博士により使われて、1938年5月、「ファチマの花、ヤシンタ」という題で出版された。
素晴らしいブログをありがとうございます。
これからも、よい記事をお願いします。
私もjohn noteというブログを書いております。
はじめまして 使徒ヨハネさん!
ジャシンタは今年の5月13日 フランシスコと共に聖人に挙げられました。
マリア様が何をお望みなのか 三人の子供たちの生き方から知ることができます。
ルシアは マリア様から大切なメッセージも受け取っています。
マリア様は 「無くなってしまう国もあるでしょう」と言われましたが、日本でもこのまま優生保護法のもと人工妊娠中絶(堕胎)が横行し続ければ、人口は減少の一途をたどるばかりです。 お母さんのおなかの中のどんないのちも 大切なかけがえのないいのちとして 愛されるものとなりますように! 日本の司教団が提唱する「いのちへのまなざし」を お母さんのお腹のなかのちいさないのちにも注いでいきましょう。
そして 罪人の回心のために祈りと犠牲をお捧げしながら、日本のたくさんの方が回心してカトリック信仰をいただくことができるようになり、皆が天国へ行くことができますように ファチマのマリア様の執り成しを願いましょう。
「ファチマの聖母の会 プロライフ」の記事を応援してくださってありがとうございます。
使徒ヨハネさんに たくさんの祝福がありますようお祈り申し上げます。