ビーンの不定期日記

その日の事や思ったことを…

 「思いつき
   いかげん日記」

T君のこと

2010-11-25 06:48:08 | 日記
ふっと、T君のことを思い出しました。


中学時代の親友だった彼が亡くなったのは、私が大学1年の7月でした。

同じクラブで部活をし(彼がキャプテンで私はエース)、生徒会の役員(彼は会長、私は副会長)も一緒にし、そして同じ女の子を好きになりました。(私が振られました!)

彼は誰からも好かれ人気がありました。

高校3年の時、彼は脳腫瘍で入院し、学校は退学しました。

退院したことを友達づてに聞き、中学時代の友人を誘って自宅にお見舞いに行きました。

かつてお互いに好きだった女の子にも知らせ、一緒に行きました。

彼は予想に反してとても元気で、笑顔で迎えてくれました。

教師になりたいのでまた学校に戻って勉強したい、と言っていました。

亡くなったのはそれから3ヶ月後のことです。

急な知らせでビックリしました。

お見舞いに行ったメンバーで今度はお通夜に行くことになりました。

お清めの席で友人たちと、彼が喜ぶからと、彼の話しをしようということになりました。

彼との想い出話はどれもみな楽しいものばかりで、不謹慎なことですが、皆から笑い声が出るほどで、

不思議なことに、彼が亡くなったという悲しみが一向に湧いてきませんでした。

それでも暫くの間、

「何で彼が死んで、俺が生きているんだろう。どうして彼が死ななければならなかったんだろう…」

との思いが私の頭から離れませんでした。

今でも彼のことを思い出すと、そんな気持ちを持った19歳の自分が、もう50半ばになってしまったことに唖然とします。

とても彼の分まで生きてきたとは思えません。

もし彼が生きていたなら、きっと生徒から好かれる人気教師になっていて、立派な人生を歩んでいたと思うのです。

そんなことを考えたりすると、今のこの自分がとても恥ずかしくなります。


自分の生き方に大きな影響を与えた彼の死をいつまでも忘れないために、

そして彼への思慕と尊敬の念を込めて、

彼のことをこのブログに書き記し、留めます。

社会科見学

2010-11-23 23:41:01 | 日記
何処だと思いますか?
何に見えますか?

私の住むアパートから歩いて20分。
競輪場があります。

毎週開催されているわけではありません。
月に2回くらいでしょうか。

「でしょうか」と言うのは、私は競輪のことを知らないからです。

競馬も競艇もやりません。麻雀もできません。

近くに競輪場があったので、どんな所かと行って見たのです。

競輪は昭和30~40年代が盛んでしたがその後は下火に。

客の減少から全国にあった競輪場も廃止になるところが増えています。

以上の頭だけの知識をもって行ってみると-

ガラガラ
こんなに観客少なくていいの!?



観客席は正面スタンドが7割がた埋まっているだけでコースを一望できる大スタンド(観覧席)に見物客は誰もいませんでした。

何よりも場内に活気がありません。

それもそのはず、周りを見ると殆どが60過ぎと思われる老人たち。

私なんか若いほうだと思いました。

若い女性なんか見つけるはほぼ困難!

競馬の場外馬券場に行ったことがありますが、あの活気に比べて、同じギャンブルでも全く雰囲気が違うと思いました。

競輪はもはや老人のギャンブルと化してしまったのか…

かつて中野浩一が一世を風靡しましたが、それでも競輪は日蔭のギャンブルからは脱していません。

競輪の未来は暗いと思いました。

60を過ぎてここに来るような老人にはなりたくないなあ- が実感でした。

サエラ(2)

2010-11-22 18:16:09 | 日記
夕方のTVを見ていたら、聞いたような名前が。

「今日はサエラの特集です」と司会者。

50歳過ぎてメジャーデビューした五所川原の2人組。

9月にラジオに出演していたのでこのブログに書きましたが、顔を見るのは初めて。

痩せた方と豊満な方の対照的なお二人でした。

ピアノを弾く高橋さんがポスターや衣裳のデザインもしているんだそうです。
(何でもやるんですね。感心しました)

性格も正反対みたいで、
もし学生時代だったら絶対に友達にならないタイプだと、お互いに言ってましたよ。

ベタっとした仲よりも、距離を保って、お互いの性格や生活の違いを認め合う関係でいたほうが
上手くいくのかもしれませんね。


夫婦関係もそれって当て嵌まるのかなぁ~?

多摩川土手

2010-11-20 20:21:53 | 日記
買い物がてらに周辺を散策してきました。

10時半に出かけて3時半に戻りました。
何キロ歩いたのかな?

ジョギングは辛い歳になりましたので、このくらいは歩かねばと思い、
意識して長い時間を歩くようにしています。

多摩川の土手はいつもジョギングにウォーキング、そしてサイクリングをする人達で賑やかです。

「スポーツロード」と言ったところです。

土手を下りると並行して遊歩道があります。

 

「彫刻のある散歩道」と呼ばれ、所々に置かれた彫刻は足の疲れを癒してくれます。





この多摩川辺りの自然を私はいつまで味わうことができるのでしょう。

ここに私はいつまで住むんだろう…

このアパートが終の住み処になるのかな?

今は何もわかりません。

毎日を、寒いとか暖かいとか、思い感じながら-

 今日も生きています。

生者必滅、会者定離

2010-11-20 09:36:15 | 般若心経
「しょうじゃひつめつ、えしゃじょうり」

 仏教のおしえです。


キサーゴータミーという若い母親がいました。

彼女は一人子を病で亡くしました。

彼女は死んだ子を抱きかかえ、正気を失って、この子を生き返らす薬をくださいと
誰彼と構わず問い掛け町中をさ迷いました。

ある人が彼女を釈尊の前につれていきました。

釈尊は哀れな女に言いました。

「どこかで一粒の芥子(からし)粒をもらっておいで。
それでその子は生き返る。
但し、死人の出たことのない家からもらってこないとだめだよ」

キサーゴータミーは喜び、そして勇んで町へ駆け出しました。

どの家でも「うちは祖母が死んだばかりだ」「うちは父が死んだ」「うちは両親も死んだし、夫も死んでしまったよ」…の返事。

キサーゴータミーはようやく迷いから醒めました。

子供を葬ると、釈尊のところに行きました。

「どの家でも、からし粒はもらえませんでした。

生きている人よりも、死んだ人の方がずっと多かったのです。」

彼女は、生まれたものは必ず死ぬということを、
愛する者の死によって覚ったのでした。

 ……………………

生まれた者は必ず死に、会った者には必ず別れがあります。

つまり、私たちは生まれた瞬間から、いつか必ず死なねばならない死の国に住んでいると言えます。

これは人として生まれた以上、誰ひとりとして避けて通れない運命です。

死があるからこそ、たった今の自分の生命が輝いてくるのです。


「法句経を読む 寂聴 生きる知恵」瀬戸内寂聴著(海竜社)より抜粋しました。